アメ横/不忍池/上野東照宮
2022.03
売り子の声の響くアメ横から
不忍池の弁天島の碑を巡り、上野東照宮

今日は、池之端から根津方面を歩く予定でいた。
終わってみると、不忍の池から上野公園を一周して時間切れになってしまったが、この広い公園には、まだまだ知らない所があるのに気づいたし、まだ博物館や美術館は、入ったことがない方が多い。
取りあえず御徒町駅で降りて、春日通りを横切り、アメ横商店街の細い通りを歩く。電車から降りたり、乗ったりする前に、看板だけ撮ることが多く、横丁の路地を歩くのは数年振りになる。
いや、もう10年振りになるかも知れない。
新型コロナの影響を感じさせないほどの人通りで、左右にバッグやゴルフ用品の店を眺めながら進むと、次第に海苔店や、店先の活気ある呼び込みの店員の声が響く魚屋が並ぶようになる。
その先のY字路には、不思議な像が立っている。ネコかタヌキかとおもったら、ネット情報によると、この像は「賑わいの像」で、 制作者によれば、像はにぎやかさをイメージして制作したもので、猫や狸ではなく、人間を表したものだそうな。
先日の「ガード下の飲み屋、の話で思い出したガードの下に行ってみると、ありました。10年程前に、仕事の手伝いの後で時々飲みに行った「アメ横ガード下飲食街」。ガードの下を北から南に抜けている通路が2ヵ所ある。
今は昼だけれど、もうかなりの人が席を占めている。もちろん酒に限らず、昼食目的の人も多いだろう。 コロナの影響で、透明なビニールシートで、「食事席」と「通り」を区切っている店もある。入口には手を消毒するためのアルコールスプレーも置いてある。 上野駅には行かず、像のあるY字路を鋭角に折れて、左の横丁に入ると、上中通り(上野中通り=うえちゅん通り)。この通りには別名もあるようだ。
ここで時間を潰すとあとが大変なので、途中で北向きの路地を抜けて、中央通りに出る。
中央通りの横断歩道を渡り3分も歩くと不忍池。
右手に「下町風俗資料館」があるけれど、外から眺めただけで、池の岸に沿って西に進むと野外ステージ。
ベンチで水鳥たちを眺めているひとも多い。
右手に弁財天の中島が近づいてくる。 以前は上野の山の方から下りて来たので、こちらの中道からつながっているのは知らなかった。 左手の「ボート池」には中央辺りに2,3艘ゆっくりと動いていて、乗り場の方には数十艘の白鳥ボートが出番を待って居る。 弁財天の裏側から正面に移動してみると、前に来た時には気づかなかった碑があちこちに建っている。 境内の建物と碑を、端から確認して回ると、あること、あること……。
弁財天拝殿
大黒天堂 魚塚(魚商組合) ふぐの碑
スッポン感謝之碑 まだ他に、不忍池の由来の碑などたくさんあるけれど、これくらいで、弁天様にお別れする。 小さな石橋「天龍橋」を渡り、境内から出ると左に上野動物園の入り口(弁天門)。
動物園前の広場の、大木の根元のベンチで「おにぎりランチ」にする。
おにぎりのシャケとカツオ節の味を噛みしめ、梅干しの酸っぱさ、塩っぱさに、自作ながら呆れながら広場の端を見ると、そこにも大木がある。
などと思いながら、食後のほうじ茶を飲み干し、その大木に近づいてみると、道路側に碑が建っている。
そう、これなら「西条八十のカナリアの歌碑の前の大きな木が『お父さんの墓だ』」と言えば、一発で分かる。
安心して、先に進む。 (本当のところは、カミさんの都合もあるし、何もしないという訳には行かないだろうけど、それくらいの積りでいれば気が楽だ、ということ。) 弁天堂の中島から出て、この広場から道路を横切り、一段上の桜並木を横切り、石段を登ると寛永寺清水観音堂があるけれど、そこは1年前に歩いたので、今日は中島から出たところの道を左に進む。
右側の10段程の石段の上に神社が。
石段の手前に小さな橋がかたどってあり欄干に「五條橋」とある。
境内には白い花の木と赤い花の木(おそらく紅梅と白梅)があり、参拝客がカメラを向けている。 私も紅梅と白梅の花を一緒にファインダーに収めてみる。 白梅の奥に拝殿があるので、いつものように少しのお賽銭で、沢山のお願いをする。神社の名前は「五條天神社」。
参拝を済ませて、後の参道を振り返ると、社務所の前に正門の鳥居が見えるので、鳥居の外に出て見ると、五條天神さんと境内を接して鳥居が立ち、こちらが花園稲荷神社の入り口。
赤い幟が立ち並び、その間を進むと花園神社の拝殿がある。
ここでも油揚げを買うお金を賽銭箱に入れて、家族の健康をお願いする。
本堂・拝殿の前で、赤い鳥居の列が二手に分かれて右の上の方にも並んでいる。 これは、上の通りから本堂への参道のようだ。時間が無いので上まで上がるのは諦める。
後で調べたら「穴稲荷」(本殿を作るために追われた狐のために建てたそうだ)というのもあったらしいけれど、これは次回の宿題。
先ほどの五條橋を降りて、北の方向に進む。
精養軒の先を右に曲がると、大鳥居(不忍口鳥居)があり、長い登りの石段がある。上野東照宮への階段だ。 少々疲れるころに上の平坦な道に出る。
そのまま進むと五重塔が見えてくる。
「旧東叡山寛永寺五重塔」というそうで、 明治の神仏分離令により(東照宮は神社なので)取り壊されるところを寛永寺の仏教施設ということで破壊を免れ、様々な変遷を経て、現在は東京都の所有で動物園の敷地内にあるとのこと。 いま、あちらこちらを健康散歩をしていて、いろいろな神社仏閣に出会って、手を合わせる時(えーと、ここは神社だったかな、お寺だったかな?)と考え込むことがあり、(ああ、鳥居があったから神社だな)と二礼二拍手をしたり、(仁王があったからお寺だよ)と、静かに手を合わせる時もある。 しかし、これも神仏混淆(神仏習合)の頃のままに、お寺に鳥居があったりするので正確ではない。 徳川家康も、もとは「仏様」祀られていたのが「神様」になって東照宮に祭られているのだから、まあ、どんなお参りをしても、神様も仏様も「それは違う」というような狭い了見ではないだろうと思って、勝手に手を合わせ、いろいろお願いしている。
左手の本殿に向かうと、左右には巨大な銅灯籠が並び、その奥に重厚さと煌びやかさの二つの顔を見せ金色に輝く扉の唐門。
能や神楽などの舞を奉納する神楽殿も、美しく緑青の浮いた屋根の水舎も、時代を経た重厚な雰囲気を漂わせている。
正面の参道を駅の方に向かうと左右に石灯籠が並び、鳥居の傍の「ぼたん苑」の入り口に大輪のぼたんと小梅の枝が飾ってある。
表参道の大石鳥居をくぐって境内から出る。
さっきの地図に「お化け灯籠」というのが書いてあったので、左右を見回すと大鳥居に向かって左の方に大きな灯籠の影が見える。
確かに巨大な石灯籠だ。(周りに敷地改修工事の柵や重機があるのが艶消しだけど)
高さが約6m、笠石の直径が約3.3mという大きさなのでこの名前がついたそうだ。 公園の広場に向かうと、颯爽とした若者の騎馬像がある。小松宮彰仁親王像。 広場の向こうに大きな噴水が水しぶきを上げ、その向こうに東京国立博物館が見える。 長い、2年に渡る鬱々とした日々には、さすがにみんな疲れている。ムリもないことだ。 今日も、とにかく「健康散歩」で1万歩以上を歩くことが先決で、ゆっくりと芸術に浸っている時間はなかった。 (いつか、カミさんと二人でゆっくりと散歩に来る時は、ステッキを片手に、やっぱり「巨大な三色おにぎり」を持ってくるのだろうか?) そんなことを考えながら駅に向かうと、前回は工事中だった上野駅の公園口の前は、すっきりとロータリーの広場が出来上がっていた。
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