珍しく都内での打ち合わせが続き、今日は午後3時の予定。 余裕があるので、上中里駅の近くの旧古河庭園に行く予定だったが、改札を出る前に電話で確認すると、(コロナのため)臨時休園とのこと。 ここには、学生の頃、友人と来たことがある。今から半世紀前のことだ。 当時の学生生活は、今の人が聞いたら呆れるようなものだった。 ある朝、学校に行くと、友人が洗濯して絞って乾かしただけのよれよれのシャツで(男はアイロンなんて誰も持っていない)、「昨日の夕飯は、炊き込みご飯を作って食べたゾ!」と得意そうにいう。 聞いて見ると、ご飯を焚くとき醤油を少し入れて炊いただけの「炊き込みご飯」だった。私も負けずに「俺は野菜炒めだった」と言ったけれど、キャベツ、人参ともやしだけの「肉なし野菜炒め」だったり、の時代だった。(田舎から送ってもらっていたので、米だけは大丈夫だった) 時の総理大臣の中には、「貧乏人は麦飯を食え」と言う人がいたり、「金が無いなら国立大学へ行け」とうそぶく大臣も居た。 JR王子駅から1分で、公園の入り口(上り口)に着く。 数人の人が列を作っているので、何かと思ったら、山頂へ登るための無料のスロープカー「アスカルゴ」だった。正式には「あすかパークレール」というらしい。
確かに、車両を見ると、カタツムリがゆっくり登って行くようでもある。 シャレで名付けたのだろう。センスはいいよ。 これには、帰りに乘ってみることにして、とりあえず石の階段を上る。
山肌に沿って、ゆるやかな傾斜の歩道が続き、時どきジグザグになっている。
傍の説明板によると、佐久間象山が勤王の志を桜に託した詩を詠み、それを勝海舟達が碑として建立したとのこと。
そのまま北に進むと、眼下に広場を見おろす階段がある。
品種は知らないけれど、紅白が美しい。
こんな天気の良い日には、子供も大人も「巣ごもり生活」から抜け出して、ストレスを発散させたいのは当たり前。
これなら、子供連れのお出かけには、今年は上野公園より飛鳥山公園のほうが、のんびりと楽しめただろう。
もちろん、私がここに来たのは半世紀振りで、しかも前回は、夜間、友人のトランペットの練習の付き合いがてらに3人で来たので、景色は殆ど覚えていない。
当然、子供の遊具などもこんなにあったはずも無い。
覚えて居たら、より一層、時代の変化を実感したことだろう。
説明パネルによると、吉宗が飛鳥山を遊園として一般庶民に開放した記念に1737年に建立されたものとのこと。
石材は紀州和歌山から献上され、江戸城内の「滝見亭」にあったものを使用したとある。将軍の鶴の一声で決まり、運ばれてきたのだろう。
園内の歩道には、両側にNHKの大河ドラマ「晴天を衝け」の赤い幟が、方々にひるがえっている。
そう、ここには明治の実業家渋沢栄一の史料館があり、ドラマを機会に渋沢翁をテーマとして、飛鳥山公園のPRを繰り広げている。
残念ながら、私は大河ドラマはあまり見ない。と、言うより、軽く一杯飲みながら夕食を取ると、放映時間には半分眠っているからだ。
児童エリアの向かい側には、紙の博物館、飛鳥山博物館(=晴天を衝け 大河ドラマ館)、渋沢史料館(本館)が並んでいる。
また、庭の林の中には晩香廬という建物もあり、これも史料館の一部で、洋風茶室になっている。 いつも、下調べなしで散歩するので、帰宅してから「ああ、そうだったのか」と言うことがよくある。 まあ、殆どの場合は、像やモニュメントや建物の横にある説明パネルで来歴は分かる。 あまりじろじろ見るのも悪いので、桜を見上げながら通り過ぎる。 今日は、競歩のような「鍛える」散歩ではなく、たらたらとゆっくりした、文字通りの散歩でゆく。 家族連れのみなさんも、食事を取ったり、子供を遊ばせたり、でゆったりとした時間を過ごしている。 おにぎりを食べながら、案内所でもらった園内の地図をながめていると「古墳」というのがあるので、そこに行って見る。
この飛鳥山公園内には他にもいくつかの古墳の跡(周溝)が確認されていて、飛鳥山古墳群と呼ばれているらしい。
子供たちにとっては、遊具で遊ぶのも楽しいが、自然と戯れるのも良いことだ。
小径を上って再び公園内に戻る。
向こうのほうに、何か白い説明パネルが見える。
その隣の広場が「無心庵」の跡。建物は戦争で焼失したが、庭に置かれた手水鉢などはそのまま残っている。
前に廻って見ると、補修のため柵で囲まれている。
全体を包む社殿はない。 兜(かぶと)稲荷社の跡で洋風の社が珍しいとのこと。日本橋兜町の第一銀行(日本銀行、渋沢が創立した)の中にあったものを移転してきたとのこと。
元来た道を戻り、林の広場を抜けて、子供の広場の向こうを見ると、真っ黒な機関車とベージュ色の電車の車両が見える。
機関車の方はD51で、説明板を見ると、私の田舎の姫新線(新見―姫路)も走った時期があったらしい、新橋駅前の広場のD51と同じ型だ。
電車の方は都電で1978年まで走っていたものだそうだ。
どちらも、子供たちが自由に乗ったり、登ったりして楽しんでいる。
地図を見ているうちにいろいろ発見し、行きつ戻りつ、何度も同じところを歩きながら、ざっくりと公園を見たし、桜も楽しんだので、帰るために「アスカルゴ」の乗り場に向かう。
ドアの開閉は乗客がボタンを押す。一言で言えば、屋外エレベータ―ということ。 車内アナウンスは、この地元出身で国民的俳優の倍賞千恵子さんが担当している。 (ほんの数分で残念なのだけど……) 下り始めると、王子の街が眼下に広がり、王子権現らしいこんもりとした森も見える。
2分で飛鳥山の入り口に着く。(もっとも飛鳥山は四方解放された公園なので、入り口は方々にある)
都内では、今はこの線だけが残っている。 「懐かしい」というほど通勤などに使ったわけではないけれど、乗って見ると車内の雰囲気や、車窓の外の景色の流れなど、レトロな昭和のイメージが残っている。さっき公園でみた電車が、この電車の先輩だ。
今日は「下手な鉄砲も……」で、230枚ほど撮った。 なんとか総数の10%ほどHPに載せられればと思っていたら、ほぼそれぐらいになりました。
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