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    飛鳥山公園 2021.04




珍しく都内での打ち合わせが続き、今日は午後3時の予定。

余裕があるので、上中里駅の近くの旧古河庭園に行く予定だったが、改札を出る前に電話で確認すると、(コロナのため)臨時休園とのこと。

 またホームに戻って、1駅先の王子の飛鳥山公園に変更する。

ここには、学生の頃、友人と来たことがある。今から半世紀前のことだ。

 当時の学生生活は、今の人が聞いたら呆れるようなものだった。(もっとも、わたしの周囲だけかも知れないけれど……)

ある朝、学校に行くと、友人が洗濯して絞って乾かしただけのよれよれのシャツで(男はアイロンなんて誰も持っていない)、「昨日の夕飯は、炊き込みご飯を作って食べたゾ!」と得意そうにいう。  

聞いて見ると、ご飯を焚くとき醤油を少し入れて炊いただけの「炊き込みご飯」だった。私も負けずに「俺は野菜炒めだった」と言ったけれど、キャベツ、人参ともやしだけの「肉なし野菜炒め」だったり、の時代だった。(田舎から送ってもらっていたので、米だけは大丈夫だった)

 時の総理大臣の中には、「貧乏人は麦飯を食え」と言う人がいたり、「金が無いなら国立大学へ行け」とうそぶく大臣も居た。

 貧乏学生仲間との思い出のある飛鳥山公園は、江戸時代に8代将軍吉宗が庶民の娯楽のために作った公園が元になっているそうだ。

 JR王子駅から1分で、公園の入り口(上り口)に着く。

 数人の人が列を作っているので、何かと思ったら、山頂へ登るための無料のスロープカー「アスカルゴ」だった。正式には「あすかパークレール」というらしい。

列に加わろうとするおばさまグループから
「エスカルゴ? エッ、間違えた『アスカルゴ』だって!」
という声も聞こえる。

確かに、車両を見ると、カタツムリがゆっくり登って行くようでもある。

 シャレで名付けたのだろう。センスはいいよ。

 これには、帰りに乘ってみることにして、とりあえず石の階段を上る。

 

 山肌に沿って、ゆるやかな傾斜の歩道が続き、時どきジグザグになっている。

すぐに山頂に着く。
 桜は満開を過ぎたばかりで、少し若葉が出始めている。散歩の人は、ぽつぽつより多く、しかし、上野公園ほどではない。



 





 歩き始めて目に入ったのは、桜賦の碑。

 傍の説明板によると、佐久間象山が勤王の志を桜に託した詩を詠み、それを勝海舟達が碑として建立したとのこと。


そのまま北に進むと、眼下に広場を見おろす階段がある。

 




 「多目的広場」というそうで、有料で使用できる野外ステージの「飛鳥舞台」を東の端に、広場が続き、噴水や岩や石を配した流水路などもあり、また噴水もある。









 いずれも、今は、水は入れてないが、きっと夏には流したり、噴き上げたりするのだろう。





  桜の木も、花の時期を過ぎてからも、木陰を楽しめるように配置されている。







西の階段を上がると、ボタンザクラが迎えてくれる。







品種は知らないけれど、紅白が美しい。

 


 







 
遊具の広場に出ると、景色は一変する。あちこちで子供たちの歓声が上がり、カラフルな遊具に登ったり、ぶら下がったり、母親がそれを追っかけたり、で保育園のようだ。

 こんな天気の良い日には、子供も大人も「巣ごもり生活」から抜け出して、ストレスを発散させたいのは当たり前。

 


その遊具の広場の向こうに行くと、またびっくり。




 芝生にシートを敷いた家族の皆さんが、桜の下で花見と食事を楽しんでいる。。

 これなら、子供連れのお出かけには、今年は上野公園より飛鳥山公園のほうが、のんびりと楽しめただろう。
 
 ここでは、おそらくこれが例年通りの花見なのだろう。

 もちろん、私がここに来たのは半世紀振りで、しかも前回は、夜間、友人のトランペットの練習の付き合いがてらに3人で来たので、景色は殆ど覚えていない。

  当然、子供の遊具などもこんなにあったはずも無い。

  覚えて居たら、より一層、時代の変化を実感したことだろう。

 児童エリアと広場の間の自転車置き場には、子供を乗せるホロ付きの自転車が、スペース満杯で停めてある。










 まあ、ともかく、江戸時代の「長屋の花見」(落語)から今日まで、庶民の活気に満ちた生活と娯楽が、ここにはあるということ。

 児童エリアの近くには、飛鳥山の碑というのがある。

説明パネルによると、吉宗が飛鳥山を遊園として一般庶民に開放した記念に1737年に建立されたものとのこと。

石材は紀州和歌山から献上され、江戸城内の「滝見亭」にあったものを使用したとある。将軍の鶴の一声で決まり、運ばれてきたのだろう。

 

 園内の歩道には、両側にNHKの大河ドラマ「晴天を衝け」の赤い幟が、方々にひるがえっている。

 そう、ここには明治の実業家渋沢栄一の史料館があり、ドラマを機会に渋沢翁をテーマとして、飛鳥山公園のPRを繰り広げている。

 残念ながら、私は大河ドラマはあまり見ない。と、言うより、軽く一杯飲みながら夕食を取ると、放映時間には半分眠っているからだ。

 児童エリアの向かい側には、紙の博物館、飛鳥山博物館(=晴天を衝け 大河ドラマ館)、渋沢史料館(本館)が並んでいる。 

  今日は散歩が目的なので、博物館は素通りする。その歩道を更に西に進むと、旧渋沢庭園があり、青淵文庫(書庫)(元の史料館本館)のこじんまりとしたビルが庭園を見下ろしている。

 

 また、庭の林の中には晩香廬という建物もあり、これも史料館の一部で、洋風茶室になっている。

 いつも、下調べなしで散歩するので、帰宅してから「ああ、そうだったのか」と言うことがよくある。

まあ、殆どの場合は、像やモニュメントや建物の横にある説明パネルで来歴は分かる。

  渋沢庭園の片隅では、高齢の皆さんがテーブルを出して、立食花見?をしているグループもあり、のどかな桜の一日を楽しんでいる。

あまりじろじろ見るのも悪いので、桜を見上げながら通り過ぎる。

 今日は、競歩のような「鍛える」散歩ではなく、たらたらとゆっくりした、文字通りの散歩でゆく。

 少し歩いたし、お腹も空いたので、先ほどの階段をおりて、多目的広場の一角のベンチで昼食にする。

 家族連れのみなさんも、食事を取ったり、子供を遊ばせたり、でゆったりとした時間を過ごしている。

 おにぎりを食べながら、案内所でもらった園内の地図をながめていると「古墳」というのがあるので、そこに行って見る。



 広場の柵の外と言うか、旧渋沢庭園の中というか(夜間は閉鎖される区域の中)の林の中に円形の小山があり、それが古墳だった。

この飛鳥山公園内には他にもいくつかの古墳の跡(周溝)が確認されていて、飛鳥山古墳群と呼ばれているらしい。

 



 その近くには、公園の外側の山肌を伝うように作られた「飛鳥の小径」があるので、そこから園外の道を下に降りて見る。目の前の道路の向こう側を京浜東北線と都電が走っている。






  



 小径を降り切ると、小さな泉があり、子供連れの家族が、水辺の蝶かトンボを取っている。

 子供たちにとっては、遊具で遊ぶのも楽しいが、自然と戯れるのも良いことだ。

 小径を上って再び公園内に戻る。

 向こうのほうに、何か白い説明パネルが見える。

 

  茶席「無心庵」への待合(所)の跡だとのこと。

 その隣の広場が「無心庵」の跡。建物は戦争で焼失したが、庭に置かれた手水鉢などはそのまま残っている。

 





 

少し奥に稲荷の祠の後ろ姿が見える。

前に廻って見ると、補修のため柵で囲まれている。

全体を包む社殿はない。

兜(かぶと)稲荷社の跡で洋風の社が珍しいとのこと。日本橋兜町の第一銀行(日本銀行、渋沢が創立した)の中にあったものを移転してきたとのこと。



 元来た道を戻り、林の広場を抜けて、子供の広場の向こうを見ると、真っ黒な機関車とベージュ色の電車の車両が見える。











機関車の方はD51で、説明板を見ると、私の田舎の姫新線(新見―姫路)も走った時期があったらしい、新橋駅前の広場のD51と同じ型だ。

電車の方は都電で1978年まで走っていたものだそうだ。

どちらも、子供たちが自由に乗ったり、登ったりして楽しんでいる。

地図を見ているうちにいろいろ発見し、行きつ戻りつ、何度も同じところを歩きながら、ざっくりと公園を見たし、桜も楽しんだので、帰るために「アスカルゴ」の乗り場に向かう。

乗り場には飛鳥山の山頂を表す小さなケルンのモニュメントが設置され、方位盤が埋めてある。

 









 花壇の花も、桜とともに春というか、初夏の訪れを告げている。











 無料で無人の自動運転ケーブルカー。定員は12人だそうだ。

ドアの開閉は乗客がボタンを押す。一言で言えば、屋外エレベータ―ということ。

車内アナウンスは、この地元出身で国民的俳優の倍賞千恵子さんが担当している。 (ほんの数分で残念なのだけど……)

下り始めると、王子の街が眼下に広がり、王子権現らしいこんもりとした森も見える。

2分で飛鳥山の入り口に着く。(もっとも飛鳥山は四方解放された公園なので、入り口は方々にある)

   都電に乘り、早稲田方面に向かう。

 都内では、今はこの線だけが残っている。

 「懐かしい」というほど通勤などに使ったわけではないけれど、乗って見ると車内の雰囲気や、車窓の外の景色の流れなど、レトロな昭和のイメージが残っている。さっき公園でみた電車が、この電車の先輩だ。


今日は「下手な鉄砲も……」で、230枚ほど撮った。

なんとか総数の10%ほどHPに載せられればと思っていたら、ほぼそれぐらいになりました。


本日の歩数 12,300歩







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