日比谷公園
ついでに付け加えると、ITOCiAの由来は「愛しい+ia」(ネット情報から)だそうだ。私は簡単に「イトシヤ」(愛おしや=いとしや)と呼んでいるけれど。
そう言えば、年配の人たちが「戀=恋」という漢字を覚える時「いとし、いとし、という心」(糸、糸、言、心)と唱えたそうだ。また「櫻」という字を覚えるときには「二階(貝)の女が気にかかる」(貝、貝、女、木)とも。
昔は、漢字が難しかった。身近な漢字の「学」も「學」だから大変だ。今は簡略化されているから楽だけど……。
それでも、私もワープロ(古いかな?)を使うようになって、当用漢字(いわば簡体)でも(えーと、何偏だったかな?)と、書けなくなって、面倒だから買い物メモなどはひらがなや片仮名が多くなっている。
漢字の発祥の中国でも簡体字が中心になり、繁体字は台湾などで使っているようだ。
この件、深入りすると限りがないから、この辺で切り上げる。 大岡越前の「南町奉行所」とくれば、もうひとつは「遠山金四郎」の北町奉行所だけど、それはこの近くではなく、ネット情報によると確か日本橋にあるはず。また今度行って見よう。
日本橋や神田の近くには、室町、本石町、人形町、小伝馬町(江戸時代は牢で有名?)馬喰町(大阪にも博労町がある)、証券会社の多い兜町とか、淡路町、鍛冶町、紺屋町、乗物町、少し上野の近くに行けば御徒町・・・など、江戸時代の趣のある町の名前が残っているところがたくさんある。
硬い地名に数字を足して「〇〇町〇〇番地」などというのは面白みがない。
小学生の頃に、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」という歌が流行ったことがある。これは今でも代表的な彼の歌でもあり、また昭和歌謡のひとつとして残っている。 当時は、まだ行間の意味も分からなかったけれど耳に残っている。
そういえば、上野駅と御徒町の間の、アメ横と線路を挟んで反対側の細い路地も、ガード下に飲み屋が並んでいて、夕刻には飲んベえの姿が絶えなかったけど、今はどうなっているのかな。
ここは都内のサラリーマンの「癒し」の公園の代表的なところだ。
今までにも仕事先への通り道として何度も(園内の道を)通ったが、運動とランチのためにゆっくりと散歩したことがない。
交番の横を通って園内に入ると公園案内の地図があるので、ちょっと見る。
池は下の地面と同じで、足元は堤防のように小高くなっている。 ここは江戸時代はまだ入江だったのだろう。
石段を降りて、池の周りを散歩する。まだ時間があるから、ゆっくりと池の写真を撮りながら、岸辺を歩く。
さっき見た地図を思い出しながら、とろとろと歩く。
「亀の岩」とか「南極の石」「石貨」などもあるので、池や近くの第一花壇の写真を何枚か載せておきます。
1968年頃から70年にかけては、大学紛争、70年安保闘争、成田闘争、ベトナム反戦運動など、デモが頻繁に繰り返され(それは必要な動きだったのだけど)、この日比谷公園や代々木公園が、集会地、デモの出発点、になることが多かった。
デモの話は前項の「代々木公園」に入れたけれど、折角の日比谷公園の項なので、前項と異なる写真を数枚。
この公会堂には、学生時代に何度か来たことがある。
観覧を往復はがきで申し込むと、抽選に当たれば、復の葉書で「抽選に当たりました」という連絡が来て、無料でクラシックコンサートを聴くことができた。(学生の私にとっては、この「無料」が魅力だった。)
席は先着順で決まるので、当日は1時間ぐらい前に来て、入り口の階段(「新幸門」の側の小さな、ホールへの階段)に並んで入場時間を待った。受付開始までには30人ぐらい並んでいたかな。 受け付けが終わると、みんな急ぎ足で会場に入り(クラシック音楽を楽しむ人たちだから、正月のデパートの福袋を目指すような、我先の「はしたない」駆け足はしなかった!?) 最初の頃は、どの席が良いのか分からなくて、前の方の席を占めて(やった!)と思っていたが、(前過ぎると、首が痛くなるし、音響の面からも)やっぱり中央に近い席が良いと気づいたのは、何度か通ってからだった。 それはともかくとして、初めてクラシックの演奏を生で聴いた時は、感激と驚きがないまぜになった。
優しく爽やかな始まりのこともあれば、一気に本論に入ったようなダイナミックなものもあった。 (実は「始まり」と「終わり」は楽しんだけど、「中間」は居眠りしていたかも)。 でも、メインの演奏が終わって、拍手とアンコール、ブラボーの声に応えて、おまけで演奏される軽い音楽(「〇〇のポルカ」とか……)で目がさめて、足取り軽く家路についたものだった。 (カノジョでも一緒なら眠らないで、ちゃんと聞いていたと思うけど、当時はそういう話はなかった。) このような演奏会は、時どき行われて、会場がNHKホールだったこともある(NHK主催の公開録画だったのだろう)。
公会堂の前のにれの木の林を抜けて、北に行くと「雲形池」がある。この池の傍は仕事の時に何度も通った。(道路を挟んで向かい側に裁判所があるからだ。私の用事は家庭裁判所や簡易裁判所が中心だった。)
この池が「雲形池」と呼ばれているのは知らなかった。
聞いては悪いような、でも、知りたいような……。
カワセミを撮っているそうだ。カワセミは気まぐれだから、なかなか思ったポイントに来てくれない……。そのうち標的のカワセミはどこかへ飛んで行き、アマチュアカメラマンたちは散っていった。私は鶴の像だけ撮った。 少し北に行くと、弁護士会館と裁判所のビルが見えた。
(おにぎりランチの私とは大違いだ)
またまた余計な話だけど、1年ほど前に仕事を手伝ってあげた知人が「ランチはそこの松本楼でかんたんに済ませて、次に行きましょう」というから、まあ、それもいいな、と受けて、二人で行くと、入り口の予約帳には、10以上の名前が書いてあり、諦めてJRのガード下の食堂で焼き肉定食を食べた。
おにぎりを食べていると、また、上がった。でも、5分か10分おきぐらいに繰り返しているらしいので、とりあえずランチだ。
私もランチのあとは、皇居に行って、二重橋を見るという宿題が残っている。
ランチ後は、急いで皇居を目指す。
ご主人が首を横に振っている。 私も真似をして、手すりの一番下から橋を見たが、向こう側の橋は見えない。
後で、ネットで調べたところ、一般財団法人国民公園協会のHPによると、今見える橋は「皇居正門石橋」で、その奥に(表からは見えないところに)「皇居正門鉄橋」があり、「二重橋」と呼ばれているのはこの「皇居正門鉄橋」のことだそうだ。
まずは下方に橋脚を立て橋桁を渡し、それを土台にして橋脚を設ける二重構造の大変珍しい橋となっていた事から、俗に「二重橋」と呼ばれるようになったそうです。
単純に二つの橋が重なったように見えるから二重橋と呼ばれるのかと思ったら、全くの勘違いだった。
でも、健康散歩のお蔭で、間違いが修正できてよかった。
下手すると、死ぬまで(あの橋の奥にもう一つ橋が見えるはず……)と思い続けていたかも知れない。
まあ、そそっかしくて、早とちりのこんな勘違いはしょっちゅうあるし、その修正もほぼ同数ある(間違いに気付かなくて修正しないものもあるから「ほぼ…」)。
だから、好奇心を持ちながらの健康散歩は続けたい。
途中では警視庁のビルがよく見える。ドラマや映画で警視庁を登場させる時によく使う角度の、上から見ると細長い台形をしているビルだ。 時代劇などで「八丁堀のダンナ!」というのは八丁堀同心のことだが、今は「桜田門のダンナ!」というと警視庁の刑事を意味するようだ(そんな呼びかけはしないか)。
いつものように、散歩は、初めのろのろ、なかぱっぱ、終わりは競歩のごとく急いだが、予定の時刻に10分遅刻。相手も遅刻していて丁度のタイミングになった。
|