今日は都内での打ち合わせが15時からある。
天気予報は「晴れ」で、確かに朝から初夏の陽射しが眩しい。
さて、散歩はどこに行こうか。
アイデアが湧かないから、昨年行ったが花が無かった亀戸天神にする。昨年の七夕の日に行き、このおにぎりランチのHPの8番目に載せた。 駅から15分程度なので、天神様の後、錦糸町方面の散歩コースも視野にいれておく。
やはり、亀戸に来たらこの『はね亀(玄武像)』を撮らないと忘れ物をしたような気持ちになる。
今日は(というか、今は)、噴水は上がっていない。
1670年ごろから100年余り、寛永通宝などの貨幣が鋳造されたそうだ。
天神橋を左に見て右折し、少し歩くとあの「船橋屋」。
店の入り口の藤棚の半分くらいは淡い紫の藤が下がり、歩道の電柱には「亀戸天神 藤まつり」の鮮やかな幟が翻る。
私の天神参りの行き方は少し遠回りして1キロ以上歩いているが、これは、昨年は道を知らなかったからで、今回は亀戸銭座跡の碑を探していたからであって、駅前の案内表示によると、本当は800メートル程度らしい。
とても爽やかな景色だが、 境内には池を望む藤棚が広がっているが、この一角だけ花が咲き、他は盛りを過ぎ、新緑の時期を迎えている。
藤の花の季節は5月初めかと思っていたら、4月中旬頃らしい。(今日は4月27日) ひとつ利口になった。 地方によるけれど、5、6月はあやめと紫陽花の季節か。 まあ、こちらに来て50年が過ぎて、やっと去年と今年の天神様だから焦ることも無いけれど……。
コロナで3密は避けようと思っているけれど、みんな肘が当たりそうになりながら、スマホやデジカメで撮っている。
観覧のための木橋の上は人が列になって歩いている。(私もそのひとり)
そういえば、駅前にも翼カメの像、天神の池にはカメの群れ。そもそもここは「亀戸」だった。
幸運を招く鷽と立て札があるが、何気なく眺めた時は鶯(うぐいす)だと思って(まあ、ウグイスは今頃の初夏にはきれいな声で鳴いて、人々を幸せな気持ちにさせてくれるからな)と納得していたが、よく見ると鷽(ウソ)だった。この鳥の漢字の名前を見るのは初めてかも知れない。
石碑の台座に来歴が書いてあるらしいが、風化もあり、読めない。 帰宅後にネットで亀戸天神のHPを見ると、ちゃんと説明してある。 一言で言えば、いままでの不幸をウソに取り替え(鳥変え)、幸福に変えてくれる、ということで、毎年1月に「うそ替え神事」が行われ、檜の木彫りの鷽の御守りを求める人も多い、とのこと。
時間にゆとりがあれば、半日は過ごせる場所だ。
広い園内には、遊具のコーナーには子供たちの歓声が響き、芝生やベンチには、親子連れや、ママ友が子供を見守りながら井戸端会議に花を咲かせ、高齢者が日向ぼっこをしている。緊急事態宣言中だが、公園は広いので、みなさん安心して過ごしている。
そのベンチは、かなりの数があるけれど、ひとりか二人掛けでほぼ満席。
たまたまひとつ空いたので、ひとり掛けで陣取る。
おにぎりとペットボトルを取り出すと、ハトが寄って来る。彼らは、人が食事を始めると、エサがこぼれ落ちることがあるのをよく知っている。
夕食と言えば、日常生活の私の役割の夕食を作る時、アル中予備軍の(本軍?)の私は、野菜を刻みながら酒を飲むことがある。
まあ、昔も今も「はやり」の「キッチンドランカー」です……。
で、いつもの市販の顆粒状の「和風だし」の代わりに、買い置きの「煮干し」を使うことがある。
この時は、右手の親指と人差し指で煮干しの頭とはらわたの部分を(ボリッ)と取って、ツマミ代わりに口に放り込み、日本酒をクッと一口飲む。
残ったきれいな(?)部分を鍋にポイッと投げ込むと、しばらくすると煮干しの芳しい香りが立ち昇り、(いいなッ!)と左脳か右脳か知らないけれど反応する。
別に貧しさをアピールするわけではなく、この習慣が私の健康を守ってくれているのかも知れないと思う。
昨年夏に「親知らず」を抜いたのが、人生の「初抜歯」だった。 ご先祖さまからの遺伝もあるかも知れないけれど、歯は丈夫なほうだ。代わりに胃や腸などの消化器系は弱い。
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