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         神田明神 2020.09



 本日は、11時から打ち合わせがあり、それが終わるとフリーになった。

ランチのベンチをどこにするか迷ったけれど、まだ残暑が強く昼には32℃か33℃になりそうなので、疲れたらすぐ電車に乗れるところ、と思って、神田明神にした。

先週来た湯島の聖堂から道路を挟んですぐ北側にある。

その前に、お茶の水の聖橋から秋葉原方向への写真を数枚撮った。


 この前(3日)に来て直後の日曜日にテレビの番組の中で、お茶の水界隈で絶好の写真ポイントがあり、橋が3つ遠近で入る、と言っていたのが、ここだった。



 

 先週も数枚撮っていたけれど、テレビで紹介されたのには丸の内線の赤い電車が写っていたので、負けずに私も今日は1枚。

たしかに、赤がアクセントになって引き締まり、また、カラフルな写真になる。

料理にトマトやパプリカの赤や黄を加えたり、サヤエンドウやブロッコリーの緑で色付けするようなものだ。でも、あると無いでは大違い。5日前のものと比べるとよくわかる。

湯島聖堂を右に見ながら、神田明神へ。

本郷通りを横切るとすぐに神田明神の大鳥居が見えた。

 





  





 その脇に古そうな名前の喫茶店「天野屋」があったので、一枚。

 帰宅してからネットで調べると、江戸時代からの甘酒屋だそうで、その糀(こうじ)室は江戸時代の歴史的建造物で、千代田区の指定有形文化財だそうな。




 今の私は甘酒より、少し辛口の日本酒を飲むことが多いが、小学生の頃は、雪の朝、まだ暗い頃に家を出て、近所の友達と、途中にある神社境内で振舞われる甘酒を飲んでから学校へ向かった覚えがある。旧正月のころの行事だったと思う。
 
 また、田舎では、木枯らしの吹く頃、味噌なども自家栽培の大豆を大釜で煮て樽に入れ、くり器と棒杵で突きつぶし、大量の塩と麹を混ぜ込んで発酵させ、1年程寝かせて料理に使っていた。
 豆腐造りのための木枠や、醤油醸造の道具もあったかな。(これは実際に作るところをみたことはない。きっと戦前、戦中に自給自足の生活で活躍したのだろう。)
 
 そういえば、暮れには、羽釜に蒸篭を2段も3段も積んでもち米を蒸し、台所の土間で、石臼と杵で餅きをやった。
 合いの手は祖母や母が入れていた。
 つきあがった餅は、母や祖母が餅取り粉をまぶしながら千切るのを、子供全員で取りあいながら手の上でころころ丸め、並べていったものだった。
 ああいう懐かしい風景はだんだん見られなくなってきた。



 神田明神には何度か来たことがあるけれど、いつも仕事の途中の立ち寄りで、ゆっくり参るのは初めてのような気がする。

本殿でお賽銭を上げ、いつものように家族の無病息災をお願いする。


 同じ境内には、大黒さんも居れば、恵比寿さんもいる。







  




 小唄塚もある。






 



 

 また、7つの石鳥居があり、境内末社めぐりができるそうで、都内で金毘羅神社、八雲神社など7つの神社の末社がある神社は珍しいとのこと。(この日記はガイドブックではないので、全部は紹介しないけれど……)




 


 国歌の「君が代」に歌われている「さざれ石」も鎮座している。











 でも、神田明神と言えば、やっぱり明神下の平次こと銭形平次でしょう!
(テレビで数度見たぐらいで、小説は読んでいないが。)

境内から男坂の石段下を望めば、なんとなく平次の住んでいた神田の町並みが見えてきそうな・・・。






 





(「女坂」はどこかわからなかった。これだと思うけど。途中に踊り場があり、曲がっている。)

 





  
 



 境内には銭形平次の記念碑もある。これは平次の物語の出版社の寄進で建てたものだ。








  台座には「寛永通宝」の4文字の銭、つまり銭形平次の投げ銭の模様が刻まれている。






 境内を、ふらふらと1時間程歩き回り、ざっと概略がわかったところでランチにする。


本殿前の広場の木陰にベンチが4脚。4人掛けくらいだが、2つのベンチにそれぞれひとり座って、スマホに夢中の人、コンビニ弁当を広げたひと。私はべつのベンチで「おにぎりランチのひと」。ハトはいない。

平日の午後二時だけど、お参りに来る人は殆ど途切れることがない。

買い物かごを下げた主婦らしい人や、近くの会社で仕事をしているらしい背広姿の3人。観光客風な夫婦、学校帰りの学生風の3人、など。

みなさんお参りして、帰りには門のところでもういちど礼をして帰る。

これは、湯島の聖堂でも根津権現でも、他の寺社でもそうだったけれど、みなさん日常生活の中の一部分になっているように、礼儀正しい。

私も最近は、神社仏閣にお参りした時は、帰りにいち礼するようにしている。神様、仏様、そこに住んで日々お参りしている人達に失礼だから。

男坂を下って秋葉原の通りに出て、ガード下でラジオセンターに折れた。

このセンターも最近は中の通路の両側の、1畳、2畳ほどの部品店もシャッターが下りているのが多い。ひと昔前は、通路ですれ違うのが大変なほどの込み具合だったのに。


私も部品や配線材料を買いに何度も通ったものだった。

秋葉原で電車に乗って家路に。

 今日の歩数は10,800

 



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