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 菊川・本所
(平蔵、金四郎屋敷跡、時の鐘)
 

                 2021.05






 今日は、午前中曇り、午後雨の予報。

 今年のGWは、地元千葉は、まん延防止等重点措置の適用中、東京、大阪などは緊急事態宣言中、で過ぎたが、テレビや新聞の報道で見る限り、人の動きにそれほど顕著な変化が見られない。だから、コロナの感染者は減らない。

 さあ、今日は都内で打ち合わせの日だが、何処を散歩しようか、と考えながら通勤バッグの準備をする。

 行き先は決まらないけれど、とりあえず大小2個のおにぎりをレンジで温めて、ハンカチに包みバッグに放り込んで出かける。

 10時過ぎに家を出て、曇り空の下、自転車で駅前(といっても、駅まで300メートルくらい)の自転車置き場に急ぐ。この駐輪場は年間4,500円。

 新検見川で電車に乗ると、いつものように1車両に10人ほどの乗客。


 以前、両国駅の観光案内所で頂いた「すみだウオーキングマップ」という15,6ページの小冊子を眺めていると、いくつかの散歩コースの案内の地図の中に、「長谷川平蔵屋敷跡(遠山金四郎屋敷跡)」というのが目についた。

(これにしよう!)

 何も考えないで歩き、日常の中に少し変わったものを見つける散歩も良いけれど、私は怠けものだから、目的が無いと途中で止める可能性が高い。
 だから、小さくても良いので、歩く動機になるものがあると有難い。

 
 

 本八幡で都営新宿線に乗り換え、菊川駅で下車。

 A1番の出口から地上に出たが、さあ、どちらに行けば良いのか?

 




 ガイドブックの地図と、歩道の脇にある区域案内地図のパネルと見比べて方向を決める。
 ガイドブックは上が北方向で、区域案内板は下が北方向。
 わかりにくいので、ガイドブックを逆さにして区域案内板と見比べて、目的地は左方向と判断し、歩き始める。
 

  思ったより遠く、1区画先の角の歯科医院のそばにシンプルななモニュメントが建っている。

 墨田区教育委員会と、この丸山歯科が建てた長谷川平蔵屋敷跡(18世紀半ば)と同時に、遠山金四郎屋敷跡(19世紀半ば過ぎ)の碑だ。 

 

 ステンレスパネルの表面が鏡状に磨かれているので、通行中の車や人の姿が映って文字が読みにくいが、すっきりとしてしゃれたモニュメントだ。

 長谷川平蔵も遠山金四郎も実在の人物らしいが、もちろん小説は創作で、読者を楽しませるためのものだ。
 前者は池波正太郎の「鬼平犯科帳」などで、後者は芝居や歌舞伎、
陣出達朗(じんで たつろう)の「遠山の金さん」シリーズの小説などで有名で、どちらもその時代の錚々たる役者の皆さんが、映画やドラマで活躍している。
 私は鬼平犯科帳は小説で読み、金さんはTVドラマで見た。

 今回の散歩がきっかけで、電車で小説を読むかも知れない。
 実は、今日も、神田明神の散歩がきっかけで「銭形平次捕物控」を電車で読んでいる。

 

 

 とりあえず今日の最初のチェックポイントは見つけたので、つぎのポイントに移動する。

 そのまま東に歩き、大横川に当たると「菊川橋」がある。その左手前には小さな稲荷の祠があり、そのまえの広場が遊園地になっている。







 祠の後ろは塀一枚隔てて、集合住宅のビルが迫っている。

 遊園地の端から「大横川テラス」と名付けられた遊歩道を川沿いに北へ向かう。










 新緑から深緑に移った桜並木が続き、足元にはサツキの植え込みが明るいピンクの花を誇っている。













 橋一つ分歩いて、
















 菊柳橋で普通道路に戻り、少し歩いて堅川に架かる工事中の菊花橋を渡る。


 さっきから渡った橋は「菊川橋」「菊柳橋」そして「菊花橋」。みんな「菊」がついているのは、この辺りに菊にまつわる何かがあるのかも知れない。そのうち調べてみよう。そうそう、街の名前も「菊川」。


すぐ次の交差点の辺りに「長谷川平蔵の旧邸跡」(長谷川平蔵屋敷跡 とは別)があるはずなので、交差点を右に折れて探すが見つからない。

探し物に困ると、私はすぐに、そこにいる人に尋ねる。店で買い物をしていて、目的物が見つからないと店員さんに「〇〇はどの棚の辺りにありますか? ざっと教えてもらえば自分で探しますから」と言って、商品棚の列だけ聞いて、あとは自分でじっくり探す。

 ここでも店先の花に水を遣っているおばさんに「この辺に長谷川平蔵の旧邸跡があるらしいんですが、ご存知ですか?」と聞くと、「あ、それならその角を曲がってすぐのところの革屋さんですよ」と言う。花を買いに来た客の、知り合いらしいおばさんが「あら、菊川の駅のそばに

「ええ、あるわ。あれは別の旧屋敷なの」とか、話が進むので、私のガイド地図を見せて「駅の近くのは長谷川平蔵屋敷跡(遠山金四郎屋敷跡)で、丸山歯科さんの前にありました。この近くのは別の、長谷川平蔵の旧邸跡らしいですね」

 というと、「そうそう、歯医者さんの前にね」「こっちのは革屋さんの前」とか、なんとか話がつながって、お礼を言って、二人を残して角を左に曲がる。


角から数軒目の革製品製造・卸の(株)タケダの店先に、江戸時代の高札風?な物が建っている。

「鬼平情景」として、長谷川平蔵の生い立ちや活躍を書いてある。







菊川駅前の屋敷跡は歯医者さんのビルだし、入江町の旧邸跡は革屋さんになっている。

 まあ兎に角、「入江町の銕(てつ)」とか「本所(ほんじょ)の鬼銕(おにてつ)」と呼ばれた平蔵の青春のころ(もちろん、池波正太郎の作)の入江町、つまり今の墨田区緑4丁目に何とか辿り着いた。

 写真を数枚撮って、次は「時の鐘」の跡。

 「本所(ほんじょ)の時の鐘」を求めて、歩いていると、「ここは海抜0.7メートル」の表示板。

そう、(私は田舎から上京した「よそ者」なので、間違っているかも知れないが)この辺りから隅田川の向こう(東京寄り)はひと昔前は、「ゼロメートル地帯」と呼ばれる低い土地が広がり、墨田川が氾濫する度に床下・床上浸水の被害に見舞われた地域だと思う。
  昨年散歩した両国の吉良家跡や勝海舟生誕地のあたりにも「ここは海抜0.9 メートル」の表示板があちこちに立てられていた。
 今は水害対策も施され、下町の雰囲気を残しながらも、しゃれた家やビルが立ち並んでいる。

 


大横川の手前から左に入ると、この前スカイツリーや隅田公園の傍を歩いた大横川親水公園の始まりだ。
 小型犬の訓練をしている人も居る。

前を歩くのは、私とほぼ同年代の男性とその孫らしい幼児。

 元は河原の公園に降りて、
「すみませんが、『時の鐘の跡』とかいうのをご存知ですか?」と聞くと、
「いや知らない、私はここの人間じゃないのでね。で、何という跡ですか?」と言うので、
「あー、すみません。お孫さんの散歩のようなので地元の方かと思ってしまいまして……。ええ、『本所 時之鐘跡』と言うらしく、ほら、ブックの『本』に、場所の『所』で……」と言うと、
スマホで一寸検索して、「あれじゃないですか?!」と、橋の上を指さす。
 見ると鐘が吊るされた様子の小さな構造物?(ちょっと大げさか)お堂のようなものが建っている。

 一目見ると、それしか考えられない形なので
「あっ、きっとあれですよ。ありがとうございました!」
と、モゴモゴとお礼を言いながら、


 公園から数段の階段を上がり、(橋であるなら、その橋の)中央部の、ミニチュア模型の様な鐘撞(かねつき)堂に向かって歩く。





 この鐘撞堂の台座に貼られた説明パネルによると、この(今は水は見えない)撞木橋(しゅもくばし)は、万治2年(1659年)に架けられ、元は北辻橋だったが鐘撞堂の名前を借りて撞木橋(しゅもくばし)となったそうだ。

 川の右岸を遡って行くと、テニスコートなどがあり、その上手の江東橋を越えると長方形の芝生や遠景にスカイツリーも見える。

 河原にあたる公園に降りると、芝生ではまだ小型犬の躾を訓練しているかと思うと、役者は替わって、1才過ぎぐらいの幼児の歩行訓練?をする若い夫婦になっている。

 丁度ベンチが3脚程空いているので、その中のひとつで休憩とランチタイムにする。

 家を出てから6000歩なので、菊川駅から1時間、60px6000歩=3.6qほど歩いたことになる。

 時刻も丁度、いつもの昼食時間の12時半。

 空は雲に覆われているが、風は爽やかで、皐月の薫風というところか。

 


おにぎりランチを終え、一番近いJR錦糸町駅に向かうと、駅前の広場で笛の音が聞こえる。












 あのサイモンとガーファンクルの代表曲「コンドルは飛んで行く」に似た音色の、(昔は動物の骨で作った?かもしれない笛)「ケーナ」か、と思ったらケーナを数本(8本)並べた、日本雅楽器の
笙(しょう)(ホントは、私は教科書でしか知らない)を平らにした
ような楽器で、少し寂しいメロディーの「コンドル…」とは違った、軽快なメロディーとリズムを奏でる、南米風な衣装を身にまとった二人の外国人男性が、目に入った。 

 本当なら、前に置いた楽器ケースにチップを入れるところだけど、なんとなく腰が引けて、遠くから写真だけ撮っておいた。 
 後で写真を拡大して見たら、アンデスの「ソンコ ジャクタ」という演奏家3人グループが、自分たちのCDを売るためにアピールしていたのだった。

 (南米フォークで日本のみんなを楽しませ、日本での滞在も楽しんで帰ってください)と思いながら、JRに乘った。

 

 


本日の歩数 12,700歩

 見たもの(チェックポイント)が少ない割には、そこそこに歩いていた。

 






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