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    北の丸公園 2020.04




 午後の打ち合わせは14時半からの予定なので、時間の余裕があるように、11時少し前に家を出た。その頃には薄日も射していた。

 西船橋で東西線の快速に乗り換え、九段下まで一直線。地上に出ると、目の前が北の丸公園。

 
 すぐ目の前に藍色の牛ヶ淵が、木々の緑と青空を映している。







 


 九段坂の緩やかな上りの歩道を進むと、田安門があり、ここが北の丸公園の北の入り口。(道路の向かい側が靖国神社の入り口だ。)

  入り口より先方に銅像があるようだが、帰りに見ることにして、取りあえずは田安門から公園へ。今日、この公園を選んだのは、内側にいろいろな建物があって、門を閉鎖することがないから。

 浜離宮にしても、新宿御苑にしても、開園時間が決まっているし、新型コロナの流行状況によっては「臨時休園」になるから、これからもしばらくは「門の無い」公園や神社を歩くことにした。

 

 

 この門の巨大さ、造りの頑丈さには、来るたびに改めて驚かされる。

 流石は江戸城の門だと感心する。







 無数の鉄鋲が規則正しく打たれた扉は、掛矢(かけや=巨大な木槌)を使っても、とても人の力では打ち破れそうにない。










 大門を潜って中に入ると、前方の駐車場には沢山のテントが張ってある。工事用の資材置き場にしているらしい。

 



 



 


左手にもサツキが満開で、その向こうに武道館の屋根が見える。

 ふと見ると、門とサツキの植え込みの間に細い路があり、狛犬の像が見える。

 近寄って見ると、「彌生慰霊堂」(やよいいれいどう)とある。この奥に何かの堂宇があるらしい。

 

 

 これも帰りに見ることにして、先を急ぐ。なんとも空模様が怪しいので、取りあえずは園内を一周することを優先する。

 車も通る園内の大通りを道なりに左に曲がりながら歩くと、八角屋根の日本武道館がある。

  1964年の東京オリンピックの柔道会場として建設されたこの武道館では、いろいろな大きなイベントが行われ、1966年のビートルズの東京公演もここで行われた。

当時の日本人歌手の夢は、まずこの武道館で歌うこと、その次にはアメリカのカーネギーホールで歌うことで世界的な歌手になることだった。

 



 今はどこかの改装工事中で中には入れない。工事の人たちが忙しそうに動いている。



道路を横切り、向かい側の林の道を歩く。

 季節を過ぎて葉桜になった桜の木を始め、新緑の大木が茂り、歩道が続き、ベンチも時々設置されている。

 林は広大だが、雑木や雑草は伐採し、刈り取られて、きちんと整備されている。



 


 

   林を暫く歩くと、左手になにか碑が見える。

 

 「近衛歩兵第二連隊記念碑」とあり、この碑は有志の方がたが昭和43年に建立したものとのこと。傍らには記念樹の橘が植えてある。昭和58年の植樹とか。

 




 更に林道を進むと、紫の花が見える。こじんまりとした藤棚がひとつ。


  写真を撮っている人に挨拶をして「早いですね」と言うと、「今年は暖かいから早いのでしょう。普通はもう1ヵ月ぐらい後ですかね」とのこと。

よく見かける藤より、少し淡い紫の小さな花が咲き誇っている。



また、どんどん進むと、木々の隙間から、武道館側の林の中に、ピンクの大木が見える。

  品種は分からないけれど、八重桜の一種らしい。少し散り始めているけれど、存在をアピールしている。

 近くには吉田茂元首相の銅像もある。



 その八重桜の広場と、道路の脇の色鮮やかな山桜の間の道を下り、平坦な展望(?)広場から広く大きな石段を下ると「清水門」に出た。



 
 


 








 




 田安門と同じような頑丈な造りの門で、その先の小さな門から外に出ると、左がさっきの牛ヶ淵、右が清水濠。






  






  清水門の内の石段を戻り、桜並木を通って、細道を途中で左に折れると、科学技術館がある。



ここにはサラリーマン時代の思い出もある。

今日は健康散歩だから、館内に入って、ゆっくりと売店の商品をながめる。

  さすがに普通の土産物売店とは違って、少し科学する心をくすぐる物が置いてある。
 中には「ここ(科学技術館)でしか買ない限定商品!」というクッキーまである。




  孫たちが、興味を持ちそうな、或は、少し大きくなったら欲しがりそうなものを見ておく。ここなら、いつでも都内打ち合わせ(都内散歩?)の途中で買えるから安心だ。












 科学技術館を出て、林に戻ると、微かに雨が落ちて来た。

 「そうだ。まだおにぎりを食べてなかった!」と、急いで林道に戻り、先ほど通った道のベンチに陣取る。

 カミさんから借りた(軽いから)日傘みたいな傘を差しながら、持参の特製おにぎりを、雨にも負けず……、ゆっくりと食べる。

 目の前の白いサツキが少し濡れながらも輝いて見える。

 ランチを終えると時を同じくして雨も止み、(私の日頃のオコナイが悪いのかな?)「散歩曇り」になる。


 林も、碑も、桜も、建物も見たので、田安門に向かう。

  門を出る前に、弥生慰霊堂の細道に入る。

 細く緩やかな階段道を行くと目の前が開けて、お堂が見える。

 





  これが「弥生慰霊堂」で、
警視庁及び東京消防庁殉職者を祀ってある。

 賽銭箱が無いから、「警察、消防のみなさんお疲れ様でした」と灯篭の裏側にコインを置く。

 

 





 田安門を出て橋を渡り、左に行くと千鳥ヶ淵。桜の名所として有名で、1ヶ月前には近くのホテルのカフェやレストランのお濠側の席は120%ぐらいの混雑度だったはず。









 お濠の岸辺のスペース「九段坂公園」に、いくつかの建築物と銅像がある。

 さっき北の丸公園に入る時に、見るのを飛ばしたものだ。

 最初は、灯台。

「高燈籠(常燈名台)」ということで、靖国神社(道路:靖国通り)の向かい側の燈籠として設置されたものとのこと。

品川沖を通る船の灯台としても利用されたらしい。







  次の銅像は、品川弥次郎。松下村塾出身で、高杉晋作たちと戊辰戦争で活躍し、その後、内務大臣となったそうだ。

もう一人の騎馬の銅像は、大山巌。薩摩藩出身で、日露戦争では、「陸の大山、海の東郷」と称され、後に内務大臣を務めたとのこと。


 ここは道路の向かい側の、靖国神社の続きのような地で、明治から昭和に活躍した人を銅像にして祀ってあるようだ。

 私は、戦争を知らない世代で、特別なアピールはしないけれど、戦争だけはしないで欲しい、してはいけない、と思っている。

 ひとりの英雄が現れる陰で、幾多もの戦士が地に眠り、その家族の慟哭が聞こえて来る。



 九段坂公園から、千鳥ヶ淵を眺めると、花を散らせた葉桜が岸辺から水面に、新緑に輝く枝を差し伸べていた。














  今日の歩数     12,500歩





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