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         小石川後楽園 2020.08





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月は暑さとコロナ回避のために、おにぎりランチ散歩は控えていたが、久し振りに散歩した。

今日は、小石川の後楽園。

ドーム方向へ行くつもりでJR水道橋の西口から降りたところ、改札の内側でマスクを売っていた。べつに常設のキオスクではなく、出張販売らしく、看板も無く、売り子の女性がテーブルの上にマスクの箱を山積みにして店番をしている。

4、5種類の、30枚入りから50枚入りのもので、中が個別包装のものは1300円、まとめて一袋入りのものは1000円だったかな。或は、品質で値段が違ったのかも知れない。

家にはまだ在庫があるけれど、一時のような高値ではないので、150枚入りを1000円で購入。質がわからないから買い溜めは止めた。これだけ売っているのだから、選ばなければどこでも手に入るようになったのだろう。

私は在宅での仕事が中心で(それに仕事は半分現役だから)、いつもはマスクの内側に、孫たちのための手拭き・お尻拭き用の不織布のウエットティッシュを天日干ししたものを二つ折りにして当ててマスクする。こうすると安物のマスクでも不織布の5層構造くらいになるし、近くのスーパーに買い物に行ったときなどは、ウエットティッシュは捨てて、マスクだけアルコール消毒して天日干ししておけば何度も使える。

週に1回か2回の「都内出勤」の日に着用したものは帰宅したら捨てる。

翌日から、また新しいマスクを使い始める。

この繰り返しなので、週に枚の消費で済んでいる。

ウエットティッシュはマスクが品薄になった時、まとめて買っておいたので在庫は豊富だ。余ったらいつでも孫たちが来た時に使えるから、在庫で困ることはない。だからマスクがひと箱あれば、半年はもつ。 

改札を出て陸橋を渡り、右に見える黄色いビル(場外馬券売り場)の手前で歩道に降りて、後楽園の塀に沿って西の正門に向かう。(東の入場門は閉鎖中)

途中にいくつか園についての来歴・説明がある。寛延年(1629年)水戸徳川の頼房が江戸に上屋敷の後園として造り、徳川光圀の代に完成したそうだ。

「後楽」は、中国の「(士はまさに)天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」から取ったものとのこと。

そう言えば、私の故郷の岡山県にも、岡山市内に「後楽園」があり、観光スポットになっている。
 1687年頃、岡山藩2代目藩主池田綱政が造った(当時は「御後園」)ものだそうで、日本三大名園(水戸偕楽園、岡山後楽園、金沢兼六園)のひとつとして有名だ。
 1871年(明治4年)に「御後園」を「後楽園」に名前を変更したそうだが、「後楽」の出典はここ小石川の後楽園と同じ
中国の『岳陽楼記』にある「先憂後楽」(「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」)から、とのこと。
 「庭園は池を中心にした「回遊式(築山泉水)庭園」になっており…」という造園の説明も同じだ。
(この項では、両方の後楽園の説明をお借りした)

岡山の庭園は地元の大川「旭川」の流水を引き込み、園内を回している。小石川の庭園は、園内に神田浄水取り口があるところをみると、もとは神田上水を取り入れていたのかな。

正門で入場券を購入して(65歳以上は150円)園内に入ると、目の前に大きな池、大泉水がある。

それぞれ名前が付けてあり、白糸の滝、九八屋という四阿、梅園、円月橋、カキツバタ、渡月橋、竜田川などなど。

竜田川とカキツバタとくれば、在原業平より落語の「ちはやぶる」と「カキツバタ」を思い出してしまう。

二つとも業平の歌が材料になっているのは、彼の歌が江戸の庶民にも知られるぐらい有名だったからだと思うと、やっぱり偉大な歌人だったと思う。
 
 私の孫たちの参考に、業平の和歌を載せておくと 

唐衣
  着つつなれにし
  つましあれば
  はるばる来ぬる
  旅をしぞ思ふ    在原業平(伊勢物語より)

 私が高校時代の授業を思い出しながら下手な解説をするより、ネットで見た方が早くて正しい情報が手に入るはず。


 愛宕坂、白糸の滝、九八屋という四阿風な建物、円月橋などの写真を載せておくと:



   白糸の滝

 余計なことだけど、私の感覚では、白糸の滝と言うと、那智の滝のように高いところから細い一本の白い筋のような滝が流れ落ちてくるのをイメージするけれど、ここの滝は絹の白糸が千本あるように見える滝。
 でも、全国的に「白糸の滝」と名付けられた滝は、(と言っても、そんなに知っているわけではなく、軽井沢とか富士山の麓の滝ぐらいだけれど)ここと同様に沢山の水の筋を落とす滝を言うようだ。

 追記 2025.06: 最近テレビを見ていると、山形県の慈恩寺近くの「白糸の滝」を紹介していて、これが私のイメージに近い滝だと思った。
 もちろん水量や周りの木々の茂り具合によって、姿を変えるとは思うけど……。
 。


   九八屋(くはちや)

 傍に立つ説明版によると、江戸時代の風流な酒亭の様子を表したもので、酒を飲むには昼は九分、夜は八分にすべし。酒だけでなく万事控えめに、という教訓だそうだ。








   円月橋

 これも、傍にある説明版によると、朱舜水の設計と指導で作られた橋で、橋が水面に映る影が満月になることから名づけられたそうだ。
 石造アーチ橋としては国内最古のもののひとつだとか。






 

  愛宕坂
 
 八卦堂跡へ上る坂。
 京都愛宕山の坂にならって作られ、47段の石段からなり、急な坂を「男坂」、ゆるやかな坂を「女坂」と称しているとか。


 


 
 ところで、今日の目的は都内の未知のスポットを散策することであり、おにぎりランチで腹ごしらえをして午後の打ち合わせ先に行くことでもある。

 まだ園内を半分も見ていないけれど、ここに写真を載せていないポイントがいくつもある。
 カキツバタ田にかかるつづら折れの木道「八つ橋」、「不老水」、「神田上水跡」、愛宕坂を登ったところの「八卦堂跡」……。
 このHPはガイドブックではないけれど、ついでだから少し載せておきますか。(あまり説明をつけると無知がバレるので、説明抜きで)
 
  

 
 

 
 

平日だからか、コロナの影響か、人影はまばら。

 





 松林や梅林も素晴らしいし、足元のクマザサの陰からトカゲが顔を出したり、






 




 西側の林の先にもまだまだ見るべきものがありそうだけど、園内を全部歩くと持ち時間が無くなるので、(ここはいつも通るJR秋葉原,
お茶の水や丸の内線「後楽園」から15分ほどのところなので)また次回残りを歩くことにして座る場所を探す。 

 池の東の紅葉林のところにいくつかベンチがあるので、そこに行く。

先客が3人程あり、池に向かって望遠レンズのカメラを向けて、のんびりと待っている。何を待っている? 
 聞こうと思ったがコロナで3密を回避している人達かもしれないので、声を掛けるのは遠慮した。(本当は、興味があったが)

何かが飛んでくるのを待って、池と中央の蓬莱島を合わせて撮るシャッターチャンスを待っていたのかも知れない。私がランチを終わるまでにはその瞬間は来なかった。

木陰のベンチに陣取り、おにぎりを頬張り、麦茶を飲む。

池に浮かぶ蓬莱島の木の間から弁財天の朱の鳥居が少し見えている。ここにはハトは居ないけれど、まわりの木々から蝉しぐれが降ってくる。夏も終わりに近づき、次に来る頃は虫の声の合唱になっているか。その後は、紅葉か…。

 

この後、仕事を終えて帰宅した。


今日の歩数10,500






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