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    皇居東御苑 2021.09





 
 台風16号北上中で、週末は荒れ模様になりそうなので、今日は先日休苑だった皇居の東御苑を歩くことにする。

先日同様、地下鉄の大手町で降りて、皇居の大手門に向かう。

今日は門が開いているのが見える。

最初の門で、警備の担当の荷物検査があり、手を消毒し、検温をして門の中に入る。
 次には「受付」があるが、ここは本日はフリーパス。





平日(水曜日)でもあるし、人影はまばらだ。

 

奥に進むと、庭を工事中の三の丸尚蔵館、更に進むと右手に同心番所、左手に長い建物の百人番所がある。











 ここから、道は二手に分かれる。

 さあ、どっちに行こうかと迷う。

 「順路」と矢印があればそれに従うけれど、ここには無い。右に進むと日本庭園のある二之丸があるらしく、左に進むと本丸方向らしい。

 あちこち散歩していると、左回りが多いけど、今日は距離の多そうな右回りにして、もし時間切れになったら二の丸は改めて来れば良い、と決める。

 この、左回り、右回りは、いつも迷う。

 小学校の時の運動会のトラックは左回りが普通だった。きっと右利きの人が多いので、力の入りやすい右足が外側になるようにしているのだろう。(と、適当に納得する)

 

この前終わった東京オリンピックを始め、オリンピックやレースのトラックは左回り。

 競馬のコースは、左回りもあれば右回りもあり、芝コースもあればダートコースもあり、短距離もあれば3000メートルの長距離もある。

これは、馬の癖に合わせて、有利なものを馬主が選べば良い?

 まあ、馬主は重賞レースで勝ちたいのが本音だろうけど、私は馬券(正式には「勝馬投票券」)は買わないからどちらでも良い。

 ベランダの朝顔は下(根)から見ると右巻き。
 水道の水も上から見ると左巻き。地球の自転の影響だそうだけど、いろいろあるらしいから、ヒマな時にネットで見れば、正誤混じって教えてくれる。

 今、私が書いていることにも正誤が混じっている気がする。

 

 で、現場に帰って、今日は右巻き(時計回り)のコースにする。

 百人番所の長い建物を見ながら中の門の坂道を登る。

 余計な話だけど、大手門から入って曲がり、中の門で曲がり、その上も曲線になっている。

 

私の田舎の津山城の周りの道も細い路地がクランクになっている。今は区画整理やバイパスで便利にはなっているけれど、当時の面影は残っている。

 どこかで聞いた話だけれど、敵の軍勢が直線道路を怒涛のように攻めてくる勢いを弱めるため、城下の道路をクランクや曲線にしていたのだそうだ。

 江戸城も外堀、内堀で守りながらも、外の道路も城内の本丸に至る道路も曲線を多くしてあるのだろう。

  ここまで来る道の石垣も巨大な石を四角に切って組んだものだったが、百人番所前から見る石垣は壮大なもので、それだけで一見の価値がある。









 

 大番所の建物を右に見ながら、中之門の坂を上り、緩やかに右に曲がって中雀門跡。ここが江戸時代の本丸正門ではないかと思う。

 

 中雀門跡の石垣の石は、古いもの(築城当時)と新しいもの(その後の江戸時代の補修工事)が混じっている。

 古い石は、角の部分の風化が進み、ひび割れたり、角の部分が剥離して丸みを帯びたものもある。

うーん、もしかして丸めの天然石に補修を加えて角のある四角い石にして組んでいたのではないか、と想像したりするが、専門家ではないからわからない。

各地の殿様に石を運ばせたはずなので、そんな細工を許すはずもないか、とも思う。

 
 足元の石には、当時の門扉の支柱を固定したらしい穴があいている。これは、今は扉が無い他の門跡も同じ。(大手門には頑丈な扉が今も健在だ)

 

 



   中雀門から坂を登り切ると一気に展望が開け、前に広い芝生が広がる。本丸があった跡の大芝生だ。

 ここでは予定通り左への路を取り、林の中の小径を辿る。


 

 鬱蒼と茂った林の中を進むと富士見櫓(やぐら)の案内板があるので、さらに道なりに左に旋回して行くと立派な建物(櫓)が見えてくる。

 

 

 櫓なので、警戒のための侍が城下を見張っていたのだろう。「富士見」というぐらいで、当時はここの櫓に登れば富士山が見えたのだろうが、今はビルが遮って見えないらしく、説明板には「こちらが富士山の方向」と表示がある。






 

櫓の手前の小さな広場には、当時はあったはずのさまざまな防御設備や修理の様子が説明されている。写真は陽射しが向こうから射し、逆光で木洩れ日が樹の枝を照らし、墨絵の様な幻想的な絵になっていた。






 

林の路には沢山のベンチが適当な距離を置きながら配置されていて、ランチの席には困らないですみそうだ。

少し戻って、果樹園のエリアに立ち寄る。ここには様々な種類の果樹が植えてある。古品種園だそうだ。



大きな実の江上ブンタンがたわわに成っている。

 

再び林道?に戻ると、緑深い雑木林の中には数百年は過ぎていそうな巨木も混じり、時の流れを感じさせる。











 林の路を歩いていると小さな石碑があり「松之大廊下跡」とある。
 「殿中でござる!」の叫び声が知らせる忠臣蔵の刃傷事件が起きた「松の大廊下」は江戸城のこの辺りにあったのだろう。

林が切れたところにあるツワブキ(蕗の一種)が群生している一角に、時期を過ぎかけた彼岸花が咲き、その向こうの本丸芝生を囲む小径のベンチでは高齢の夫婦が、さわやか秋風を受けながら持参の弁当を昼食中。



その手前、芝生の中に何かあるので、見に行くと「午砲台跡」とある。



大砲の空砲を一発撃って正午を知らせた、その砲台の跡だそうだ。1871年(明治4年)から50年あまり、その空砲(愛称「ドン」)が時報を知らせたようで、同じようなドンは全国各地にある。

私の田舎の夕暮れのお寺の鐘とはまた違った趣があったことだろう。

 また、芝生から林の小径に戻り歩いていると、左手に「富士見多聞(たもん)」と表示された建物がある。「多聞」というのは長屋造りの防御施設だそうで、建物の前の雑草の中に設置された石碑には「御休息所前多聞」と刻んであるように、どちらの名前も使われている。

入口で手を消毒してから入場する。

柵の入った窓から、江戸城の中や、お濠の辺り、あるいは昔は、富士山も見えたことだろう。

 

江戸時代の敷居が裏を見せて展示してある。


 




























 多聞を出て緩やかなカーブを描く小路を下る。



  

石室(いしむろ)に出会う。

これは火事などの非常の際に、大奥の調度などを避難させたようだ。











 その先は竹林。様々な品種の竹が植えてある。

しかし、名前板を見て気づいたけれど、竹はイネ科だったんだ。またひとつ利口になった。









 竹林の終わったところで、前方に天守台が見えてきた。本丸の芝生から見ると、向かって右側に、しっかりした台形の石組の上に登る石段が見えている。



ぽつぽつと散歩の人が登って行く。

パンフレットの説明によると、江戸城の天守閣は三度建て替えられたが、明暦の大火(「振袖大火」とも呼ばれる)を教訓にして、翌年に江戸定火消制度ができたようだ。
 また、城下のあちこちに延焼を防ぐための「火除け地」や、同じ目的で広小路などもできたらしい。
 その大火で焼失した後は、石垣が築き直されただけで、再建はされなかった、とか。

家康が1607年に天守閣と北の丸を造営し、4代将軍家綱の1657年に焼失したあと、200年余りは天守閣がなかったということになる。

 

 



 登ってみると、一番上の天守閣が建っていたはずの平坦地に、今は方位盤の石が4つ組み合わされているだけだ。

その石に1歩あがって見たが、柵の向こうにあるはずの北桔(きたはね)橋門は見おろせない。

北桔橋というのが珍しいので、ネットで調べてみると:

 「橋の形状を「跳ね橋(橋の片方を跳ね上げて渡れなく出来る)としたことから、『北桔橋(きたはねばし)』と呼ばれるようになっている」

とのこと。

 天守台で、いにしえの江戸の世を偲び(というほどのこともなかったけど)しばらく過ごして下に降り、桃華楽堂を左に見ながら緩くカーブする坂道を下ると「汐見橋」。









 右手の白鳥濠に白鳥の姿はない。

 

南北に延びるほぼ直線の道路(苑内の道路)を横切って二之丸の敷地へ。

しかし、こんなに広い道路に車が1台も走っていないのは、都内ではここだけだろう。

最初は都道府県の木のエリア。広島県の木はモミジ。それで分かった、ひと昔前に漫才のコンビが「モミジまんじゅう!」と叫んでいた意味が。

私の田舎の岡山県は「アカマツ」で千葉県は「イヌマキ」。

そのエリアの先には「諏訪の茶屋」がある。

この建物は、元は吹上地区にあったものが移築されたとか。
 その元の建て場所が、江戸時代の諏訪神社のあったところから「諏訪の茶屋」と名付けられたそうだ。
 枝折門の内側に、ピンクの小さな花をたくさんつけた木が去り行く夏を惜しんでいる。(いや、開花の秋を迎えて喜んでいるのかな?)

名前はわからない。



「茶屋」から少し進むと池が見えて来る。

今は二之丸の建物跡は雑木林にしてあり、その庭は江戸時代の日本庭園を整備してある。右回りに池を巡る。


雑木林の小径を進み、石段を登ると小高い展望台があり、さらに進むと小径の足元の水源から下の池に向かって滝が流れ落ちて行く。

 














  展望台からの眺めは木々の枝に遮られて少ししか見えないが、少し道を下ると池の全貌が見えて来る。





 

先ほどの滝も水を集めて飛沫を上げ、回りの水に穿かれた石が、経てきた歳月を思わせる。




  ヒシが(よく見ていないけど)池の水面を覆い、その下をヒレナガニシキゴイが悠々と泳いでいる。















 名前の通り、超大型の金魚ではないかと思う程尾びれが長く、泳ぐ姿も優雅に見える。今度、いつ来るかわからないので、何枚も写真を撮る。

 








池の畔にはサルスベリの木が多い。百日紅は夏の花だから、ここは「夏を惜しんでいる」のだろう。

 もちろん他の木や花も豊富で、藤棚もあれば菖蒲田もあり、菖蒲田には鑑賞のための木橋も架けてある。

 



東御苑内にはバラ園、ツバキ園、茶畑、桜の島などがあちこちに配置されていて、その季節の花が楽しめるが、今は丁度その季節の変わり目だろう。
 緑はあふれているけれど、花の色彩が少なく、すこし淋しい。

 

(そろそろおにぎりを食べたい)と思ったけれど、点在するベンチに座って休んでいる人は飲み物を飲んでいるぐらいで、何かを食べている人はいない。

私はあまり人目を気にしないほうだけど、皇居で、天皇陛下や宮様がたの庭でもあることなので遠慮して、もう少し歩いて適当な所を探すことにする。

 




池を一周して「諏訪の茶屋」の前から雑木林の中の小径を、落ち葉を踏みながら散歩し「二の丸休憩所」に出る。二時間は歩いたから、さすがに疲れた!

休憩所に入ると、いろいろな説明板やベンチがあるけれど、少しうす暗いので、外に出て、休憩所の入り口外側のベンチに陣取り、やっと待望の「おにぎりランチ」。

今日もいつもの特大三色おにぎりに、昨日の夕食と今日の朝食を少し多めに作ったおかずの白身魚の天ぷら、唐揚げ、ポテトサラダのランチだ。

ぽつぽつと日本人や外国人の散歩の人が来て、私を横目に休憩所に入っていく。しばらく出て来ないからきっとあの説明板を読んでいるのだろう。

食事を済ませて腹ごしらえも終われば、また、元気になる。

少し歩けば入場した大手門だけど、再び汐見坂を上り、本丸大芝生に戻り、外回りの道を本丸休憩所(売店)に行く。



 大芝生には仰向けに寝そべって昼寝をしている人もいる。
 そう、庶民に優しい天皇陛下は、微笑みながらこれも許してくれるはずだ。
 私も芝生周りのベンチでランチにすればよかった!

本丸休憩所の売店では、皇居にまつわるいろいろな土産物を売っている。

絵ハガキや、菊の御紋のアクセサリーなどもある。とりあえず江戸城の今昔の地図を一枚購入する。

隣の建物には江戸城天守の復元模型が展示してある。

 

休憩所の外に出て、次は「展望台」。

 




小高い展望台からは、すばらしい江戸の(東京の)街並みが見えるはずだったけれど、足元は木の枝に遮られ、遠くは林立するビルが見えるだけだった。

 

売店横の路から出口(=入口)の大手門に向かうと、左手に石を組み合わせたモニュメントがある。新しい現代作品ではないから、江戸城から発掘した石材かも知れない。

粗い石切りの鑿の跡が鮮やかだ。






木の名前板には「〇〇の泉」と、かすれた文字が見えるが、読み取れない。


パンフレットで見ると「緑の泉」。通常はモニュメントを水が流れているらしい。




 大手門から内堀通りに出ると、桔梗濠で白鳥が1羽、のんびりとエサを漁っていた。
















 

本日の歩数 17,000歩








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