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    旧岩崎邸庭園 2021.12




今日は時間の余裕があまり無いので、通勤途上にある旧岩崎邸庭園を歩く。

  11月に南アフリカで確認された,新型コロナウイルスの変異株のオミクロン株が、先月末の日本着の渡航客とともに日本にも侵入してきたけれど、電車の中は通常の混み具合だ。

 御徒町で下車して、いつものように上野松坂屋の横を通り、末広町から不忍池に向かう。





 途中で、これもいつものように寄席の鈴本演芸場の看板を撮る。
 

 

 



 

不忍池の水面は枯れススキならぬ枯れハスに覆われていて、水鳥の姿も見えないが、池の周りの木々は紅葉して師走の風に揺れている。





 池を少し回ったところで、今まで気づかなかった人工の小さな滝と水路に出会い、その先で、やはり気づかなかった「上野恩賜公園野外ステージ」を発見。





帰宅後、ネットで調べてみたところ、別名「水上音楽堂」と言うらしく、改修工事を終えて、席数も1000以上あり、いろいろなイベントが開催されているらしい。

 

 公園出口から出て、不忍通りを横切り、斜め右の路地を歩く。

少し迷って旧岩崎邸に着いた。


 門から230mほどはコンクリートの坂道だが、その先は落ち着いた玉砂利の道になる。




緩い坂道の左側は立派な石垣が続き、右側はケヤキ?の並木が続く。






道の突き当りが受付になっていて、一般400円のところ65才以上の200円で入場券を購入。




 受付棟の後ろにイチョウの大木があり、黄色というより黄金色に輝いている。










 邸宅の本館は1896年(明治29年)完成の洋館で、相変わらず(まあ、前回の訪問から10年で、変わる訳もないけれど)堂々とした姿で建っている。

岩崎彌太郎の長男で三菱の三代社長の久彌の本邸として造られたそうだ。

  設計はジョサイア・コンドル氏。

自身がニコライ堂や鹿鳴館なども設計し、また、東京駅を設計した辰野金吾、赤坂離宮を設計した片山東熊などを育てた、日本の西欧建築の重鎮。

  玄関で靴を脱ぎ、ビニール袋に入れて、順路の表示に従って館内を見学する。




 天井が高く開放感のある正面玄関の右手には大きな暖炉がある。その後で歩いた各部屋にも立派な暖炉が備えられていた。

冬にはきっと相当手がかかったことだろう。

 財閥のトップともなれば、その家族が住むだけでなく、賓客も多く、中には宿泊する人もいただろうから、執事たちを始め、人と建物の世話をする人数も半端ではなかっただろう。

 

 そう言えば、この洋館は別にして、この庭園は江戸時代には地方の藩主の江戸屋敷だったそうだから、時代が明治になっても、それにふさわしい人が住むことになったようだ。

 

 順路の矢印に従って左奥に進むと、ホールの暖炉の口の上の壁には大きな姿見(洋風に言えば「ドレッサー」か)が、装飾と実用を兼ねて掛けられている。

 







次に2階に上がる。大階段は100年以上磨き上げられて黒褐色に輝き、手摺に優美な彫刻がほどこされている。

 

書斎には久彌の頃の机が(別に保存されていたもののひとつらしい)、時代を刻んだそのままの姿で置いてある。 




 ホールには大きな金柄の絵が掛けてあり、その柄の原版となった版木のロールも一緒に展示してある。

オランダから渡って来た金唐革を和紙で模造加工した(擬革紙)もので「金唐革紙」というらしいが、いくつもの工程を経て作成され、ウイーン万博に出展されて、輸出の道が拓かれたということで、貿易で名を成した岩崎家の、日本文化と貿易をひとつにまとめた手腕に感心する。


 

 その先には、その金唐革紙の作品が部屋一面に展示されている。




 2階のベランダに出ると、庭園が見渡せる。





芝生の広い庭だが今は改修中で、建機が入っているから、残念ながら優美な姿は無い。

来年の春ごろには、手入れの行き届いた緑の芝生が見られることだろう。










ベランダの柱は古代のギリシャ建築を思わせるような白い柱の列。柱の上端に特徴的な装飾が施されている。

柱の中央がふっくらとなるエンタシス(中学校で習った)になっているかどうかは私にはわからない。

 芝生は残念だったけれど、立派な柱の列を見て満足する。

再び中に入り、奥の部屋に行くと、そこはトイレ。

手洗い、便器はドルトン社、今のロイヤル・ドルトン製だとか。

うちにもロイヤル・ドルトンはあると思うけど、たしかコーヒーカップだったはず(!)。

 カミさんがピンクの花柄のウエッジ・ウッドや緑のロイヤル・ドルトンをありがたがって、いくつか棚の奥の方に仕舞っていたような気がする。(と思っていたら、東日本大震災で棚が倒れ、食器類は全壊したらしい)

 帰宅後にネットで調べて見ると、ロイヤル・ドルトンは、もともとは陶磁器の衛生用品メーカーだったようだ。

 1階に下りて和館へ行く。





  やっぱり、上流でも、庶民レベルでも、畳の部屋は落ち着く。











 違い棚のある書院造り風な大広間や組子、家紋の引手のついた襖を見ると嬉しくなる。



 ここでは引手や欄間、組子などが岩崎家の家紋の菱形になっている。







 長い巻物の古文書もあるが、もちろん私には読めない。

 売店があったので、手土産に羊羹をひとつ購入して、出口の表示のある廊下のガラス戸から縁側に出る。







(「たたき」に靴を下ろして……)と思ったら、コンクリート等の台ではなく、平らな大石だ。それが庭に向かって並べてある。












 別棟の撞球(ビリヤード)室を覗きながら、旧岩崎邸を後にする。









 

正門を出て路地を西に歩き、耐震補強工事の際に発掘された古い煉瓦を使って、一部以前の塀を再現したという旧岩崎邸庭園を巻くように交差点を左に折れると、「さだまさし」さんの歌にある「無縁坂」。










 細い路の左右の歩道に「無縁坂」と書いた鋼板が敷いてあり、説明板も立ててある。観光ポイントのひとつになっているようだ。





 

 

坂を上り切ると東大の鉄門。それを入ると東大の附属病院があり、多くの人が行き来している。

 

 

御殿下グラウンドに沿って、キャンパスに入れそうなところを探すが、相変わらず新型コロナの影響で「関係者以外は入れません」とあり、守衛さんが身分証をチェックしている。

 仕方がないので地下鉄の本郷三丁目に向かう。

 龍岡門を出て、春日通りを南へ、ここは湯島天神に行った時に散歩した道。

 本富士署、消防署を通り過ぎて、春日通りと本郷通りの交差点で思い出したのが「かねやす」。






  前にも書いたけれど、新たな写真を加えておくと、一階の江戸時代そのままの名前の「かねやす」の店舗はシャッターが降りて、お休みの様子。おかげでシャッターに大きく書いた「かねやす」の字を見落とすことはない。







「かねやすビル」の外壁に川柳の「本郷も かねやすまでは 江戸の内」の文字版が埋め込んである。

ここも文京区あるいは本郷の観光スポットになっているようだ。



 

安田講堂前の芝生か三四郎池のほとりでランチと思っていたが、結局、おにぎりを食べるところがなくて、前回と同じ池袋東口の小さな公園でランチとなった。

 

今日の歩数  14,000

 







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