歩け あるけ!
旧中川-北十間川-本所吾妻橋
2022.05
のどかな流れの旧中川から北十間川をたどり、
池波小説の「鬼平」の舞台 春慶寺を掠め、吾妻橋へ

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連休明けで、また新型コロナの感染者数が増えてきている。
まだ明けて数日なので、判断は難しいようだけれども、第7波になる可能性はあるだろう。
と言っても、私の散歩は人が密になるところではなく、自然の中を歩くことが多い。
今日は、墨田区と区の観光協会が作成した地図を手に、荒川支流の旧中川から北十間川、スカイツリー下を経て浅草方面へ歩こうと思う。
総武線亀戸駅で降りると、つい「亀の像(はね亀:玄武像)」を撮りたくなる
ついでに、「令和4年頃の亀戸駅周辺の様子」も撮っておく。
古い雑誌や記録映画などを見ていると、当時の街角の様子を見て「そうそう、昭和の中頃の車はこんなだったね」とか、「今はないけど、あそこには映画館があった」とか話すことがある。 今から50年ほど後に、孫たちがこの写真を見ることがあると「令和の初めの頃のタクシーはこんな形だったのか!」とか「今は駅前には月面車が展示してあるけど、昔は亀の像があったのか?」とか、話のネタになるかもしれないので、いろいろな写真を撮っておく。
東武線に乘り、2駅で「東あずま駅」に着く。
東側に降りて、丸八通りを南下。最初の大きな交差点で、斜向かいの角から南東に入る細い路地を辿る。
細い住宅地の中の、曲がりくねった道を抜けると、旧中川の堤防に出る。
現在、中川本流は途中から蛇行して西に向かい荒川に合流、(その荒川を横切った先の平井側の陸上延長が旧中川)、その本流の曲がりはじめを真っすぐに東京湾に導く「新中川」は新小岩と小岩の間を流れている。また、その東の小岩と市川の間を「江戸川」が流れている。
向こう岸の広場では保育園児らしい、赤や黄の帽子のが歓声を挙げている。 こちらの岸辺では、アオサギが杭の上に、例によって彫像のように突っ立って、辺りを睥睨している。いや、水面下の小魚を探しているのか。
もう少し南に進むと、釣りをしている人達がいる。 挨拶をして、何が釣れるか聞くと「ハゼ」とのこと。
「アオイソ(メ)。家に居ても邪魔もの扱いされるから、朝からやっている」 見ているうちにも「当たり」があり、魚が釣れたり、藻が釣れたり(?)。 「釣れても釣れなくても、水辺で釣り竿を伸ばしていれば、それで満足でね」 「そう、それで十分。天気も良いことだし、楽しんでください」 と、別れる。
「江東新橋」の辺りで北十間川と合流する。
橋の先の、さっき乗った東武電車の踏切を越えて100mほど行くと、川の堤防の上は、車は西からのこちら向きの一方通行、一段下がった住宅沿いは東からの一方通行。
どちらも狭い歩行レーン(?)が切ってあるから、そこを歩けば良いので、途中から堤防の上の道路を歩く。
ここは亀戸4丁目。
やっと明治通りと浅草通りの交差点に着いた! 橋は「福神橋」。スカイツリーが少し大きくなってきた。 道路脇の地図に「亀戸天神社800m」「亀戸駅850m」。
再び「歩け、あるけ!」
次の橋に着いた。 橋は「境橋」。橋の袂に小さな祠、その隣には道標のような石柱がある。
祠は「六字名号供養塔」
道標は、この境橋から木下川薬師堂に向かう道(現在の仲居掘通り)を示したものだそうだ。
この川向かいに吾妻権現社があるようだけど、今日は先を急ぐので、参詣は次回にする。
さあ、気合を入れて、歩こうか。
「亀戸七福神」の幟旗が見えたので、左の路地に入る。 今回の散歩には神社仏閣は予定に入っていなかったから、お賽銭用の小銭の袋はやや小さめだけど、1ヵ所なら間に合うだろう。 境内に入って最初は(本当は右のほうに鳥居があり、参道が本殿に向かっている)可愛いこどもの石像を置いた御水舎。その向こう側に福禄寿の祠。
その奥には太郎稲荷があり、
参道の正面に、天祖神社の社殿。
この地、柳島の総鎮守だそうだ。
江戸時代に埋め立てがされる前は、江戸湾の奥に小島が点在していて、柳島、向島などの地名が残っているようで、今はもちろん陸地内。 本道(浅草通り)に出て、そこにある地図版を見ると近くに「亀島小学校記念公園」がある。
1区画先を再び左の路地に入り、さっきの天祖神社の入り口を遠くに眺めながら進み、区画の切れ目を右に折れると、学校のグラウンドが見える。 校庭と校舎、その西側にある庭も見せて頂く。 本校舎の前の校庭(運動場)には、運動会の100m競争や体育の時間に使われた様子の楕円形の自然地があり、きっと歓声を挙げながら、走ったり応援したりした児童の姿が見えてくるような気がする。 西側の小さい方の校舎は今も使われているようで、教室(事務室?)に明かりが点いている。
その前の庭には、手入れされた藤棚があり、その季節には素朴ながら素晴らしい景色が広がっていることだろう。
ベンチがいくつか用意されているので、(ここでランチにするか?)と、いつものように「今日のランチのベンチ」の記念撮影もしたけれど、時間の都合で、先に延ばす。 北十間川に沿う浅草通りに戻り、西に向かってツリー方向へ歩く。
その北十間川から分流して南に流れる(浅草通りの)横十間川に架かる柳島橋を過ぎ、100mほど歩くと次は十間橋。
すぐ左側に「昔ばなし柳塚」の説明板。しかし、碑の姿は見えない。 ともかく、説明板によると、ここにある碑は、落語の柳派(柳家小さん、や、小三治)の記念碑だそうだ。
そういえば、さっき渡った柳島橋も浮世絵の題になることが多かったようで、安藤広重も多くの作品をのこしている。柳島界隈の景色や風俗がテーマにし易かったのだろう。 その先200mも行くと西十間橋。
ここまで来るとスカイツリーはもう目の前だ。 橋と一緒に撮ろうと思っても、塔の下の方しか撮れない。ここは業平5丁目。
ここ北十間川沿いから本通りに移る。
押上駅前郵便局を過ぎ、浅草通り、四ツ目通りの交差点を過ぎ、京成橋も過ぎ、交差点で向かい側に渡る。 寺は1615年創建、「押上の普賢様」として、親しまれているそうだ。 寺の入り口には、犯科帳の中で岸井左馬之助役を演じた江守徹の手になる石碑が建っている。碑には「岸井左馬之助寄宿之寺」とある。平成15年に建てたとのこと。
散歩の時には(ふしぎな名前の橋だな)と思っていたけれど、帰宅後にネットで調べて由来が分かった。
この土地には押上(おしあげ)地区と業平(なりひら)橋地区の商店街が設立した「おしなり商店街(振興会)」というのがあるように、橋の名前も、「おしあげ」と「なりひら」のアタマ2文字を取って「おしなり橋」となったようだ。
そのまま川に沿って西に進むと、ツリーをバックに写真を撮るための「フォト・スポット」、その先には川に向かって吹き出す噴水も設置されている。
2区画歩いて、浅草通りに戻り、信号2つほど西に進むと、前に散歩した「大横川親水公園」。川に架かるのは「業平橋」。
河川敷に造られ、ポピーを中心にして、色とりどりの花が咲き誇る花壇が「降りて来い」と呼んでいるようなので、橋の袂の階段をおりる。 花壇の周りにいくつか設置されているベンチに空きがある。今日のランチはここのベンチにする。 犬を散歩させる人、自転車で通り過ぎる人、ベンチで仮眠をとる人、さまざまな人を眺めながらおにぎりを頬張る。 業平橋の向こうには、スカイツリーが青空に向かって伸びている。
橋に上がり、吾妻橋方向に歩いていると、白い法被にタスキを掛け、パッチ姿のいなせな(?)若いおねえさんが、観光の人力車を引いて、駆け足で追い抜いていった。
吾妻橋を渡り、地下鉄銀座線浅草駅から午後の打ち合わせに向かった。
今日の歩数 16,400歩
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