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今日は、打ち合わせが遅いのと、赤坂の銀行に用があるので、都内の東部ではなく、どちらかと言うとやや南部にある「旧芝離宮恩賜庭園」に行く。
山手線の浜松町駅で下車。この駅は10数年程前に、駅近くの会社の手伝いをしている頃は毎日利用していた駅だ。
しかし、普通のサラリーマンの大部分がそうであるように、毎日通勤していても、その経路の近くの公園や遺跡を訪れる暇はなく、家と仕事場の往復か、時折終業後に飲み屋に立ち寄るのが関の山だった。
だから、半分フリーになった今、こうして散歩を兼ねて方々を歩いている。

「旧芝離宮恩賜庭園」は浜松町駅の改札から歩いて1分!
殆ど駅のすぐ南隣りにある。
受付で検温と手の消毒を済ませ、入場券を購入。65才以上は70円!
中央の大池(大泉水)が素晴らしい。
ここも、いままでに歩いた幾つかの大名庭園と同じく「回遊式庭園」だ。
何代かの所有者を経て皇室の「芝離宮」となり、1924年に昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として一般公開されたそうだ。

すぐ左にある大きな藤棚の下にはベンチがあり、休憩している人が、ひとり、ふたり。
4月、5月には素晴らしい藤の花が見られることだろう。
庭園を右回りに一周することにする。

池のほとりの庭園の樹々には冬支度の雪吊りが施され、小池では鴨がのんびりとエサを求めている。

少し先に進むと橋があり、「海水取入口跡」の説明板がある。
昔は海水を呼び込んだが、今は真水の池になっているそうだ。
直ぐ先には「滝石組」が、荒々しい自然石の景色を見せている。

その先の広場の南側を覆うように立ち並ぶ木々は紅葉し、晩秋の林の姿を見せてくれ、対照的にその手前の「あかがし」は緑豊かで、生命の強靭さも見せている。(樹の名前は分からないし、忘れるので、写真の端に名前板を入れることにしている)

池を4分の1周して中島へ渡ると「八つ橋」に出会うが、今は改修工事のため渡れない。
12時を過ぎたので、目の前の「あずまや」で「おにぎりランチ」にする。
今日は快晴で散歩日和。
あすは天気予報だと寒くて雨が降るということだ。
まあ、私の平素の行ないが良い、ということになるか、(今日は、晴天!)関東地方の人がみんな「おこない」が良い、ということになるのか……。
農家にとっては、普通に雨が降らないと干ばつになって困るし、夏の晴天続きで断水が始まり、勤めの人だって困ることがある。
とりあえず、私の「健康散歩」の日だけは、晴れて欲しい。
(自分勝手! 70年ほど自分を抑えて来たのだから、20年ぐらいは自己中でいいのでは? またその後はまた20年ほどガマンします。まあ、100才超えですが。)

あずまやの十字型に組んだベンチのひとつに陣取り(いま「あずまや」は独り占め)、お茶と、いつもの特大の「特製三色おにぎり」(シャケ、梅干し、カツオ節が3層になっている「ライスハンバーガー」?)を取り出す。
目の前には大泉水の大名庭園、手には「三色おにぎり」のランチだ。
おそらく「お殿さま」だと「三色おにぎり」ではなく、三つ重ねの「お重」かもしれないけれど、まあ、「大名気分」に変わりはない……。
「目黒の秋刀魚」のように、庶民の食べ物は「お城」の食事より、食材、空腹のタイミング、料理の温度(今ならアツアツ)によっては「ウマイ!」と思うことがある。
皇室のみなさんだって、私の「特製三色おにぎり」には(タイミング次第で)舌鼓を打つと思う。
と、言うことで、
「目に紅葉(モミジ) 池・カモ・コイに
雪の吊り」。
ちょっと借用が多かった?
ほぼ食べ終わる頃に年配の(私ぐらいの)夫婦が昼食場所を求めてあずまやにやって来られたので、
「ここは暖かいし、眺めもいいから、どうぞ」と席を譲り、散歩を再開する。
左前方に2つの小山がある。
「九尺台(九盈(えい)台)」と名付けられた高台だから、高さが約3mの展望台。
なだらかな線を描くすそ野はすっきりとし、その頂上には、嘗て大名や皇室のみなさんが海の漁の様子を眺めたであろう、直径3mほどの平らな足場がある。

そのまま向こう側に石段を降りて、隣の小山に登る。
こちらは「唐津山」。老中大久保忠朝が唐津藩主だったこともあるので、この名を付けたとか。
こちらは松なども植えてあり、頂上への石段が優雅な曲線を描いている。
高さは隣の九尺台とほぼ同じ。
頂上からの庭園の眺めはなかなか良い。
数メートルの高さの違いでも視野が開ける。
そう言えば、足の筋を痛めて日常的に下駄をはいていたことがあるが、サンダルから下駄に変えると、それだけで周囲の景色が変わった気がしたものだった。
ほんの数センチの高さの違いだけど。

二つの高台からの眺めを楽しんだ後は、目の前の「大島」に渡る。

このような庭園を訪れる度に感心するのは、老木の姿の美しさだ。
樹齢が数百年のものから数十年のものまであるけれど、その経て来た年を写したような大きさと同時に、樹齢とは関係なく、それぞれが優美な形を見せてくれている。
「大島」を西側に渡る橋は「鯛橋」。

昔、海から廻って来た鯛がよく釣れた場所かと思ったら、鯛の形の1枚岩を渡した橋だ。
言われてみると、しっかりと鯛の形をしている。
根府川山を巡り、小田原から運んだと言われる大岩群を眺めていると、向こうの広場を幼稚園の子供らしいグループが先生に引率されてやってくる。

子どもたちの元気な声が聞こえてくる。
今日は天気が良く、風も無く、「遠足日和」だ。
大泉水(池)を半周した辺りで芝生広場に出る。隣に桜の林が広がり、小さな丘があるので、それが大山かと思ったが、その先に富士山形の大きな山が築かれている。
山頂に平坦部があり、そこから園内が一望できる。片手撮りなので絵が少し傾いているけど……。

大山から下りるとふもとには巨岩を配した枯滝石組の細い通路があり、それを抜けると池辺の景色が広がる。


ここに小田原北条家の武将の旧宅から運ばれた4本の大石柱があり、昔は小田原藩の上屋敷の茶室があったそうだ。

石柱の脇を通り橋にでる。
向こうに、先ほど反対側の八ツ橋が補修工事中で渡れなかった中島がある。これは渡ってみなければ。。。


中島には岩石群が荒涼とした景色を見せ、その先の中央の松の間に石灯籠が見え、静寂な死の世界の中に、緑の松が見せる活力のある生の世界が力強くアピールしている。

この岩はこの庭園が出来た当初、「楽寿園」と呼ばれた17世紀末のころの石組だそうだ。

残念ながら目の前にある「浮島」に渡るすべはないが、池の景色が堪能できる。
島の反対側の、先ほどの八ツ橋を見るが、(当たり前だけど)やっぱり工事中で通行止めの看板。
年末年始は忙しくて、この項は、散歩から1ヵ月経って1月半ばに書いているので、記憶が怪しい部分もある。
そう言えば、年明けの仕事で打ち合わせをしていて、「松の内」というのは何日までを言うのか、という論争(?)が持ち上がった。
「1月10日まで」という人もあれば「いや、15日までだ」と言う人もある。
ネットで調べたところ、東日本では10日までで、西日本では15日までを言うことが多いということだ。
「古くは小正月と呼ばれる15日まで松の内とした時代もあったが、現代では1月7日までとするのが一般的です」という記事もあった。
孫たちに昭和の生活を伝えるために作ったメモの中に「どんど焼き」の話の項があり、その中には「正月と旧正月(旧暦の正月で、新暦でいうと1月末から2月初めが多い)の間」と書いたけれど、正確にはこの「小正月(こしょうがつ)」の15日(あるいはその前後)らしい。
1月15日で松が取れ(松の内が明け)、正月飾りなどを焚いて歳神様(年神様)をお送りし、無病息災を願う儀式だということだそうだ。
子供の頃に、村の田んぼに大人たちが拵えたどんど焼きのやぐらの火で、書初めを焚いて習字が上手になるようにお願いし、竹の左右を削って空いた隙間に丸い餅を挟んで焼き、家に持ち帰って温め直し、砂糖醤油で食べた記憶がある。
「鏡開き」は松が取れてからのはずだけど、11日のところが多いようだ。ただ、これも地方により異なる。
「七草粥」は、これもいろいろ歴史と説があるけれど、7の字のゴロ合わせもあり、1月7日に食べるのが多いようだ。(松の内を1月1日から7日として、その最期の日に食べる、という説もある)
まあ、昔から伝わる行事には、それぞれに説があるけれど、あまりこだわらないで、新年が平和で健康な年になるよう願って、自分なりの祝い方をすれば良いのではないかな、と思う。
で、散歩の話に戻って、中島に渡る橋は中国の西湖(せいこ)の堤を模した石造りの堤だそうだ。

橋を戻り岸辺を歩くと小さな砂浜があり、鴨たちが遊んでいる
梅林の端から砂浜を巻くように岸を進むと、湖面に浮かぶ小島に向かって突き出すように立つ石灯籠が見えてくる。


「雪見灯籠」と名付けられている立派な灯籠だ。
雪の朝、ここから薄ら氷の張った池に目をやり、緑の枝に雪を乗せた松を眺め、視線を左に転じれば、円錐形の雪吊りの縄も白く薄化粧。これは極楽でしょう。
(熱燗の銚子が1本つけばもっといいけれど……)

広場に進むと、ベンチでは観光の人、近くで勤めの人が、のんびりと昼食を取ったり、読書をしたり……。
スマホの万歩計を見るとまだ6,000歩。
健康散歩には不足なので、庭園をもう一周することに。
今度は「駅に向かう時の早足」で歩く。
折角だから、さっき歩いた道を外れて歩く。
見落とした巨木を見つけた。

「たぶのき」と言うらしい。
太い幹に、両国の旧安田庭園で小鳥を撮ったときのような、何かが巣として住んで居そうな穴がいくつかあいている。「家主」の姿は見えない。

もうひとつ、庭園を見渡している直立した灯籠も。
あとは「歩け、あるけ!」で2周目を終えて入園門に着くと、一週目に池の端で出会った幼稚園児のグループに出会った。
入場門の近くの藤棚の下で帰り支度中で、先生が道路を横断する時の注意をあらためてしている。
私の孫と同じくらいの年齢なので親しみが湧くし、とにかく可愛い。
私も、「帰る」というか、「打ち合わせに行く」と言うか、取りあえずこの庭園を後にする。
本日の歩数 14,000歩
(おそらく、園内9,000歩+通勤5,000歩)
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