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国内も国外も心配事や痛ましい話が多いので、今回はささやかな「あたたかい話」。
今回は桜の季節で、日によっては汗ばむ気候の日もあるけれど、おにぎりはやっぱりほんのりとでも温かいのが良い。
だから、ハンカチで巻いたりして保温を試みるけれど、なかなか昼までは持たない。
昔むかし、欧州を貧乏旅行している時に、インターラーケン駅のホームのベンチで野宿(?)をしたことがある。
真夏とはいえ、アイガー、メンヒ、ユングフラウなど名峰の登山基地になる高所のこの駅は、夜は14℃くらいで(だったかな)、半袖の夏服姿では寒くてたまらない。
当時は(今もあるかも…。確認はしていない)ユーレイルパスという、1週間とか2週間とかヨーロッパの主な国を乗り放題の切符があり、お金のない若者は夜行特急をホテル代わりにしたり、ユースホステルに泊まりながら、貧乏旅行をするのが普通だった。
(私と同世代の方がたの中には、「地球の歩き方」などを読みながら「1日10ドル」の旅をした人も多いと思います)
その時、ふと何かで読んだ話を思い出し、持ち合わせの新聞を体に巻き、新聞紙でくるまれたミイラのような恰好で寝たことがある。
しかし、ほとんど効果が無く、震えながら夜を明かし、始発電車のために駅が開くと同時に、駅舎の待合室に飛び込み、暖房の効いた部屋で数時間の仮眠を取って、旅を続けた。(ながい昔話になりました)

貧乏旅行の時、氷河列車代が足りなくて「頂上駅まで行けなかった」ユングフラウに、
50年後にやっと家族で登りました。
今反省すると、あの時は新聞紙の使い方を間違っていた。
本当はアンダーシャツの上に新聞紙を巻き、その上から服を着て、さらにその上に空気を通さないもの(ヤッケなど)を着ると防寒にも役立つと思われるけれど、登山家の方は何とおっしゃることか……。
あの経験を生かして(というほどのことではないけれど)、今は「おにぎり」をラップ、キッチンペーパー、ハンカチと包み、その上を「しわを寄せた新聞紙」で包み、それをビニール袋に入れて(空気の層を作って)から通勤バッグに入れて持ち歩いている。
こうすると、今の時期なら3時間後でも「ほんのり温かいおにぎり」を食べることが出来る。
(おにぎりぐらいコンビニで買えば……)と思うだろうけれど、そもそもは新型コロナで街の食堂に入りたくないので、おにぎりだけで1食になるように、どこかに書いたように、シャケ1/2切れ、(メンタイコなら1ハラ)、カツオ節ひとつかみ、自作の南高梅1個が入った、コシヒカリの特大おにぎり(普通のコンビニのおにぎり2個分)を持参して健康散歩を始めたので、今更おにぎりを買う気にはならない。
(もう一回、ながい話になりました)
まあ、こんな調子で、まだまだ「おにぎり散歩」を続けます。
今朝は雨が降っていたけれど、昼過ぎには晴れ間も、との予報。曇り空の下、新検見川駅に向かう。駐輪場から道路に出るとグリーンベルト(中央分離帯)があり、植えられた桜並木は満開。
中に数本混じっている河津桜は昨 夜からの雨に濡れて、早くも新緑に輝いている。

電車に乗ると、座席の8割ぐらいが埋まっている。
コロナの波の時は7人掛けに1人 か2人だったから、(11時前後としては)通常の乗客数といえる。
西船橋から東西線に乘り、門前仲町へ。
最初の目的地(物)は「明治丸」。
先日3月28日(月)の朝日新聞(夕刊)のレポー ト記事にこの船のことが載っていたから。。。
私の健康散歩は公園や下町歩きが多いが、時どき「今回は何処を歩こうか?」と迷っ た時に、テレビや新聞で取りあげているものにすることもある
門前仲町の駅は、ひと昔前に毎日乗降した頃と比べると格段にモダンになっている。
地下鉄から地上に出て、まず行ったのが、ある一軒の居酒屋(大衆割烹)。
地元に住む知人や、北海道の知人と、数年に1回程度だが旧交を温める時に集まるのがこの店。
仲町商店街の薬の福太郎の角を右に入ると川の手前右にある。
暖簾が出ていないし、私はいつものように「おにぎり持参」だから、素通りして、そのすぐ先の「大横川」に行く。
この川は隅田川の支流というか江戸時代からの水運のための運河にあたる。
ここの桜も今日の目的だった。
以前、さっき書いた仲間3人で飲んだ後、心地良い夜風に吹かれながら、ここの ライトアップされた夜桜を見たのが忘れられない。

今日は文字通りの「花曇り」の下、橋(石島橋)の上から桜を愛でる人、写真を撮る人、岸の散歩道の桜並木の下を散策する人、そして川面をゆったりと滑る船からを見上げる満員の船客たち。
清澄通りの黒船橋を越えて越中島(えっちゅうじま)橋まで桜の下を散歩し、越中島橋を渡り、小さな公園に行く、「臨海公園」。
地域の人が気楽に休め、子供たちの遊べる遊具もある。 その川下に遊覧船の乗り場がある。
その近辺を一周して帰り、空席になってる越中島橋の袂の藤棚の下で昼食にする 。

いつものようにハトにエサをねだられながらの「おにぎりランチ」を終えて、橋の袂から緩やかに清澄通りに出る道を進むと「ヤマタネ」の大きな看板の建物が川上に見える。
新聞のレポートによると、江戸時代にはその辺りに榊原越中守の屋敷があったので、「越中島」という名がついたそうだ
清州通りの広い道の左側の歩道を歩いていると、牡丹一丁目と古石場一丁目の間 の路地の奥に赤い幟が数本見える。
(あれは、きっと稲荷だな……)と思いながら行って見ると「妙栄稲荷大善神」。

小さいけれど、いわれの有る神社のようだ。
ネットに載っていないかも知れないので、傍にある説明板の内容を少し書いて置くと、寛永年間、この地に下屋敷を構えていた松平越中守の屋敷内に安置されていたこの稲荷の御本尊は、400年の間に幾多の変遷を経て、今は古石場一丁目西町会による町会管理となってここに安置されているとのこと。
祠はすっきりと掃除され、水舎も清潔そうに手入れされていた。
ただ、お賽銭を供えようとしたけれど、賽銭箱が無いので、説明板の足元にコインを置いて、後にした

清澄通りを進むと東京海洋大学がある。道路を渡り、構内の1900年代初頭に作られ、今は有形文化財に指定されている2棟の観測台(赤道儀室)を塀越しに見なが
ら更にすすむと、大学の正門がある。
今は新型コロナの影響で学内に立ち入ることはできないので、守衛室でこの先に明治丸が展示されていて、塀の外から見ることが出来ることを確認して、また清澄通りを進む。
途中、相生橋のたもとには、1870年に明治天皇がこの地を訪れた記念の「明治天皇聖蹟記念碑」が建っている

隅田川の船乗り場の桟橋に出て、やっと明治丸と面会。
1874年に灯台巡視船としてイギリスで建造された「鉄船」で、世界に10隻程度しか 残っていないとか。
現在建造される大型の船は「鋼船」だそうだ。
その後、練習船となり、終戦時に米軍に接収され、そして返還され、今の位置に保存されている。
船体の姿も良いけれど、それ以上に、丁度晴れてきた空に聳えるマストの美しさが際立っている。
塀の鉄柵の内側にカメラを突っ込んで何枚も撮る。
曜日と時間を選んで来れば、中に入って見学できるそうだけれど、残念ながらその余裕が無い。

桟橋の突端に船溜まりがあるので不思議な感じがしたが、丁度海洋大学のボートがそこに入って来たことから、海洋大学専用の港だと思われる(未確認)。
それにしても、大型船か小型のボートかに関わらず、「船」の姿は美しい
これは「航空機」についても言えるけれど、やっぱり水抵抗とか空気抵抗を最小限にするための、あの流線型の姿が、そのまま(「設計」を意味する「デザイン」ではなく)美的な意味でのデザインとして生きているのだろう。
生物にしても人工物にしても、モノの究極的な姿というものは、芸術でいう「美」にも、直接につながっているのかも知れない、ともっともらしく言いながら、視線と進行方向を右に移すと、大きな柱に舫(もや)い、ゆるやかな隅田川の 流れにたゆたう遊覧船が数隻。

屋形船というか屋根船らしいのもあれば、船主の名前から釣り船と分かるものもある。
桜見物の船は、川から上の桜を見上げるため、屋根なしの船が普通(さっきの大横川でわかった)だから、出払っているらしい.
川上の木立に向かって少し戻ると、岸辺に石灯籠のようなものがある。 ここは「中の島公園」。 とくべつ大きくもなく、子供用の遊具があるわけでもないけれど、ちゃんとした
公園で、見ごろの桜の木が2本。

水面近くは2段になっていて、「感潮池」だそうだ。
満潮になると運河(隅田川)の水が入り込み、引き潮で水がなくなる。
仕組みはよく分からないけど、こういう形だそうだ。
(←現地に掲示してある図面です):

相生橋の歩道に上がり、もと来た道を海洋大学の方にもどる。

もう一枚明治丸を撮っておく。
大学の二つの敷地の間を走る道路の南の先を見ると地下鉄マークの看板が見える

ここからJR京葉線に乘るけれど(さあ、次はどこに行こうか?)。
乗って次は八丁堀、その次はもう終点の東京駅。
あまり考える時間もなく終点で降り、北の端の出口から地上に出ると目の前は「東京国際フォーラム」の入り口。

国際フォーラムの横を通って、そのまま進むと皇居前の広場に出る。


いつもながら、東京のど真ん中にあるとは思えない松林のすばらしさに、心の中で嘆声を挙げながら、広場を横切り二重橋に着く。

ここでは時間がゆっくり流れているようで、早足で歩く私は異端者のようだ。
何枚か写真を撮って、桜田門(その「造り」は「高麗門」と呼ばれるようだ)から出て、地下鉄に乗り、本日の散歩は終了。
今日の歩数 16,000歩
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