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   お茶の水から後楽園界隈
  
(元町公園、本郷給水所公苑、
        礫川⦅れきせん⦆公園)2021.01.21






昨日まで日中の最高温度は10度以下だったが、今日と明日は10度以上になりそう、ということで、打ち合わせの都内出張?も少し楽になりそうだ。

今日は特に観光の名所でもなく、また都内に住んでいる人も知っていたり、知らなかったりの公園でのランチを予定。 



 JR
で水道橋まで行き、お茶の水側に降りると、神田川左岸に昨年見た構造物がある。あちこち調べてみたけれど特に名前は付けてない。お茶の水分水路公園とでもいうのだろうか。








 少しお茶の水方向に歩くと、神田上水の説明版とお茶の水分水路の記念碑がある。


 神田上水の古い説明版は読めない部分も多くなっているので、新しく神田分水路案内図が作られた様子。

 



 





ちなみに神田上水は井の頭池を源泉として、飯田橋、水道橋、お茶の水分水路を経由して、墨田川に注いでいるそうだ。

 


近くに横断歩道が無いので、駅前の交差点まで戻り、外堀通りの、さっきと向かい側の歩道の(お茶の水坂)ゆるい坂道を上っていると、分水路の記念碑を過ぎた辺り左側に石段があり「元町公園」とある。予定外だったが石段を上るとテラス風な広場が左右にあり、目の下に神田川の流れと、川向うを中央線の電車が走っているのが見える。

さらに1段上ると広場があり、母子連れが数組。こどもは歩く練習をしている。遊具もいくつかあり、ベンチでは初春の優しい日差しを浴びながら親子3人が昼食をとっている。近所の人たちの憩いの場なのだろう。



 藤棚もあり、4月か5月頃に来ると、藤の花と緑が楽しめそうだ。












 


 広場を横切り、公園を出て路地を少し奥へ進むと、今日の最初の目的地「本郷給水所公苑」に出る。(ここは名称に「公園」ではなく「公苑」を使っている。)

右の高台に木がみえるが、初めてなので入り口がわからない。先に進んで路地の交差点に出ると「工事中のため、こちらから公苑には入れません。→入口」で、元に戻りかけると途中に公園への階段があった。さっきは見落としたようだ。

階段を昇り詰めると目の前が開け、林と四阿と池がある。

この平面はかなり高い位置にある。
 近くのマンションの3階の床の高さだ。

自然の丘ではなく、公苑の部分だけ人工的に地盤を盛り上げたようだ。


 とりあえず全体を知るために北の方向へ進むと、左に児童公園らしく遊具がたくさんあり、工事車両が入っている。さっきの「工事中につき……」はここの遊具のメンテナンスだったようだ。

右側には広場があり、手前と向こう側には屋根を載せた構造物の下にベンチが並び、昼食中の人、昼寝中の人、スマホで交信中の人など・・・。

広場は幾何学模様に区切られ、放射状の小路の中央には像が立っている。

説明板によると、この公園が出来たのは昭和52年(1977年)で、当時の「給水場の屋上」に60〜140cmの盛り土をして植栽地を作った「屋上庭園」だそうだ。(だから近辺の民家やビルの3階の床の高さになるのだろう)



ここは主にバラを中心にしたフランス風な公園の造りになっている。

確かフランスでヴィランドリー城だったと思うけど、幾何学模様に作った大きな庭園をみた覚えがある。

バラの花壇を見ると、昨年秋に訪れた八千代市の京成バラ園から移植(寄贈?)されたらしい、当時の新種のバラも見える。「はまみらい」など。

 




 
 もちろん外国からのものもたくさんある。例えばイギリスのフレイザー(公園? 種苗社?)から来たジョセフィン・ブルースというのが隣にある。園内には数百本のバラがある。


今は、開花時期を外れているので、ぽつぽつと花がある程度だが、5,6月、10,11月には満開のバラ園になるのだろう。

 

咲いた花は少ないけれど、人も少なく、ゆっくり息抜きができる公園だ。

私は空いたベンチに座り、おにぎりランチ。

隣のベンチの人は昼寝中。コロナ対策で、3密を避け、それぞれの3人掛けベンチにひとりずつ。ベンチに溢れた人は花壇の縁石などに腰を下ろしてスマホで会議?や、サンドイッチランチだ。今日は天気も最高で、気温もまあまあなので、どこにでも座れる。

 




私は目の前の芝生で餌をついばむスズメを見ながら、特大おにぎりにかぶりつく。


 

ランチを終えて、幾何学模様の庭園から、最初入った和風庭園に行く。武蔵野をイメージして造られたとのこと。


 
 池の上には木橋が架けられている。
 

池の日陰の水面には薄い氷が解け残っている。さすがに、亀や鯉はいない。まあ、メダカとミズスマシぐらいは居てくれた方が心は和むし、水もきれいにしてくれるのではないかと思うけれど、都心のビルや住宅の真ん中に、5メートルほども土を盛って作った公園だから、贅沢は言えない。それにメダカも今では絶滅危惧種になっていたかな。


  そんな公園とは思えないほどの雑木林で、年数の経った木立も多く見える。

地面の下からポンプで揚げられた(或は都の上水道からの)水も人工水路も和風の小川のように蛇行しながら和園の中央のあずまやの前の池に向かって流れている。

さっきは森の中の池の薄氷に感心していたのだけれど、四阿の池にはしっかり氷が残っている。(確かに、昨夜から今朝は、この冬一番の冷え込みだった)



 公園の東の端には神田上水の遺跡が保存してある。























また、その東隣に東京都水道歴史館がある。その歴史館を訪れていれば、もっとましなことが書けたかも知れないし、歴史など間違えなくて済んだかもしれないが、今日は時間が無くて、飛ばす。(また、来よう)

 

遺跡の傍に立つ説明版によると、この上水の石樋=せきひ(石垣樋)遺跡は、井之頭池から目白台、神田川などを経由して日本橋などで飲料水につかわれていた約400年前の頃の江戸の神田上水幹線の一部を、移築復原したものだそうだ。

日本橋の先は隅田川から江戸湾へ注いでいた。

江戸の東部の人たちの日常を支え、健康を支えていた水路だったのだろう。

記念して、東京都が建てた、この石樋の(名札代わりの)石碑も建ててある。

遺溝の入り口から公園の中央に戻る。







 道路側からの入り口(高さが5メートルはあるから、道路の向かいから歩道橋が来ている)に公苑の説明パネルが立ててある。



今は新型コロナの影響で、テレワークが推奨され、近辺のビルに働きに来る人も少なくなっているだろうけれど、通常は、サラリーマンの休憩所として人気があるにちがいない。

今日は、(駅に向かうときの急ぎ足の)競歩(強歩)というより、のんびりとした散歩だったので、あまり運動不足解消になっていないけれど、ここで1時間程過ごしたので、打ち合わせ場所に向かうことにする。30分ほど余裕はあるけれど、来る前に調べた講道館立ち寄りと礫川公園は無理そうだ。(と、思って、この公苑散歩を切り上げた)




本郷給水所公苑を出て、壱岐(いき)坂通りを後楽園のドーム方向に下ってゆくと、坂の途中、左側の歩道に小さな像が建ててある。

台座には、当時のこの辺りの絵図と、来歴が記されている。文京区の土木部が建てたものだ。









 








 銅板のパネルの説明によると、小笠原壱岐守(おがさわらいきのかみ=九州佐賀県唐津六万石)の屋敷の傍を通っている坂なので壱岐殿坂(いきどのざか)と呼ばれていたものが現在は壱岐坂となったそうだ。(地図の中央部に「壱岐坂」と見える)。

台座の上の像の作者を確認するのを忘れた!)


もう少し坂を下ると春日通りとぶつかる交差点だ。

その前から、ドームの北端や、後楽園遊園地のジェットコースターや観覧車などが見えてくる。











後楽園ドームを左に見ながら進むと、地下鉄丸の内線の赤い電車が駅ビルを「ヤリで刺す」ように到着する。丸の内線は地下鉄だから、地下を走るのが当たり前だが、ここ後楽園や、2つ前のお茶の水、そしてかなり新宿寄りの四谷辺りでは地上というか「空中」を走っている。

電車に乗ろうと改札口まで行くと、駅の北側の景色が少し見える。駅を向こう側に通り抜けると、初めての公園が現れる。


 改札の平面は駅に向かう人たちが早足でこちらに向かってくる。

近くに大学や事務所も多くあり、(近道の)公園を横切って来る人も多いようだ。

左手の石段を少し上がったところには木立やかなり大きめの花壇や噴水、その木立の向こうの方にはカラフルなブランコや滑り台などの遊具がいくつかあり、子供たちの歓声が聞こえて来る。それを見守る母親たちは、その辺の住宅から出て来た人たちの様に見える。

また、左の先には4、5mぐらいの高さの3つの獅子口から水が吐き出されて、滝を作っている。周りの木はローズマリー。

そういえばほんの1ヵ月前に、仕事を手伝っている会社の女性社員2人と男性社員1人にローズマリーの苗木をプレゼントしたばかりだ。

ローズマリーは挿し木をすると比較的簡単に根が出てくるので、どんどん増やせる。

特に目的はないけれど、ホームセンターで買ってきた苗が大きくなったので、枝を切って10本ほど挿し木にしていたら5本ほど根ついて、それがどんどん大きくなって、マンションの小さなベランダでローズマリーの鉢が我が物顔で占領してきたので、カミさんの実家に持って行ったりして減らしていた。娘は生意気にも「食べられるものなら貰うけど、香草はわき役だから要らない。でも、一緒に植えると他の植物の虫よけになるらしいから、1本なら貰う」と一本持って帰った。

私は田舎者だから何でも植える。食べたオレンジが美味かったら、その種をベランダのフラワーポットの隅に埋めて置く。柚子を食べたら種を植えておく。カミさんの実家の月桂樹の枝も持って帰って、葉っぱを3枚ほど付けて10センチほどに斜めに切り、ポットの隙間に挿しておく。ラベンダーやセンリョウの枝も、カミさんが「捨てて!」と言っても挿し木にする。

ラベンダーは根付いたけれど、センリョウは現在様子見中だ。

マンゴーは食べ終わった種を埋めて置いたら芽が出て、葉も出て、でも冬になると枯れて、もうダメかと思って居たら次の春にはまた葉が出て来た。

柚子は10年経っても実が成らなかった。オレンジもどんどん大きくなって「洗濯物の下が触るから捨てて!」と言われながら剪定して数年経っても実が成らない。

ラベンダーと月桂樹は10本挿したら2本ぐらいは着いた。

それで行くとローズマリーは元気だ。挿した半分は根が着いた。

まあ、差し上げて、喜んでくれる人がいたから、これからも挿し木しようか? そのうちベランダがローズマリー畑になりそうだ。いや、災害や飢饉に備えてジャガイモやさつま芋を植える方が重要か、悩むところだ。

 まあ、こうやって縄文時代の人達は「農耕民族」として定着していったのだろうな、と思えば、私はそのまま子孫だということを証明(今流行りのDNA)しているのかも知れない。

で、公園の話に戻ると。

そのまた上は、3段目の平面の公園になっている。

 石段を上ってみると、かなりの樹齢の木々が剪定を済ませた姿を見せ、また、職人の皆さんが手入れの最中だ。一人でゆったりと太極拳をやっている人もいる。






先程上った階段では、洋風に着飾ったお嬢さんがモデルになって撮影をしている。

きっと、来週(来月)の雑誌のグラビアか、ドレスショップの広告に使うのだろう(あくまで推測)。










花壇の植木を眺めていると白い説明パネルがある。

サトウハチロー作詞の「ちいさい秋みつけた」は、彼の仕事部屋から見えたハゼノキから着想を得たもので、旧宅が移設されるとき、その木がこの公園に移植されたそうだ。

その説明パネルに「礫川公園」と書いてある。やっとわかった、ここが「今日は行くのを諦めた」と思っていた礫川公園なのだ! 

昨日ネットで見ていて思ったのは、「礫川」を、私は「つぶてがわ」かと思っていたけれど本当は「れきせん」と読むらしいということ。

ネットで検索してみると、江戸時代に小石川に住んでいた川柳の作者に礫川という人がいたらしい。その人の名前が先か、他に礫川という言葉・名称があって、その人がそれを借用したのか、それは知らない。

そう思って他の説明板も注意して見ると、ハンカチノキの前にも説明板があり「青木玉さんからの寄贈の木です」ともある。





今日は、良かった。

予定外の「元町公園」という、地元の人たちに愛される可愛い公園も、おそらく知らない人が多いと思われる「本郷給水公苑」、そして、(今日は立ち寄れないと思っていた)「礫川公園」の3つも行くことができた。

礫川公園と、前に行った両国の旧安田邸公園、そして上野の森は、「おにぎりランチ」の場所に困った時の奥の手になりそうだ。(どれも通勤経路の駅から歩いて1、3分だから)

 

本日の歩数 13,000


 





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