ホームページのトップへ
  六義園 2020.11



 
 

 知人から「六義園は見ごたえがありますよ。時間が許せば、近くに旧古河庭園もあるし…」と勧められたので、今日は六義園。

 今日は、先日の品川宿と違って快晴。散歩には絶好の小春日和だ。

山手線の駒込で降りると「確か、新型コロナ対策で、入場者数を制限するため予約制だったな」と、メモしてきた電話番号に予約の電話を入れる。

「あなたの予約番号はB〇〇…です」と言われて、メモして駅の外に出る。

駅から大通り(本郷通り)に出てみてわかった。今年の春先に仕事を手伝った会社のある区域だった。

 その会社に行く路地を飛ばして、1本先の路地の入口が六義園の門(染井門)だった。いままで気にしたこともなかった。

 入場門で予約番号を言い、検温と手の消毒をして入場券を買う。高齢者(65歳以上)は150円だ。

   園内に入り、雑木林の小路(千里場=馬場跡)を進み右に入ると流れが造ってあり、橋(山陰橋)を渡りながら周囲を眺めると、少し紅葉が始まっている。

 


 ちなみにこの庭園は後楽園などと同様の「回遊式築山泉水庭園」と言うらしい。



 そう聞くと、水はどこから引いたのかが気になった。岡山後楽園は旭川から水を引き、小石川後楽園は神田上水からだと思ったけど、ここは?

後でネットでで見て分かった。
 千川上水から引いたものだった。千川上水の水源は玉川だとか。

また、元は1695年(元禄8年)柳澤吉保の造ったもので、その後、三菱の創業者岩崎弥太郎の別邸となり、また、その後、東京都に寄付されたものだそうだ。詳しくはネット情報に載っている。

もうひとつ情報を書いておくと、小径は蛛(ささがに)の道と言うらしい。

「笹が根」から音の似た「ささ蟹」となり、「ささ」は「小さい」という意で、「蛛(ささがに)」はクモやクモの糸の意になったらしい。この林の中の道がクモの糸のように細いことから、「蛛(ささがに)の道」と名付けられたとか。(これは園内の説明版に書いてある。)

 クモの糸が細くても長く、切らないことから家名が永く続くことを願って名付けられたそうだ。
 散歩しながら、いろいろ勉強できる。

  林を抜けると、急に展望が開け、目の前に庭園の大池(大泉水)が広がる。

池のほとりの広場(紀川というらしい)では、かなりの人が景色を楽しみ、弁当を広げている。

広場の後ろの小高い藤代峠を上ると(上りと下りを分けてある)、さらに視野が広がる。






大泉水を左に見ながら畔の歩道をゆっくりと左回りに歩いて行くと(これじゃ運動にならないな、と思いながら…)、吹上茶屋があり、お土産や食べ物を買う人でにぎわっている。

 


  通り道の脇の松の大木を見るとすでに冬支度で、菰巻がしてある。

上部の荒縄は少し緩めに巻き、下部の縄はしっかりしめて、害虫が入っても、下に逃げないようにしてあるとか。

 田舎育ちだけれど、菰巻にそのようなテクニックがあるのは知らなかった。また、ひとつ勉強になった。 古木の太い根が地上を這い、庭園の歴史を感じる。

 その先には、滝見茶屋が枯れた佇まいを見せ、


 
四阿の脇に小さな滝がある。


 滝というと、田舎者の私は何メートルかの高さから飛沫を上げて落ち込む滝を思い浮かべるが、東京の庭園で見る滝はこじんまりとしていて、上品だ。

 しかし、池には、田舎の田畑を潤す溜め池にはとてもいない大きさの真鯉、緋鯉が悠々と泳いでいる。 「あれ一尾で何人前のアライやコイコクが作れるだろう?」とか、「あれを釣り上げるにはハリスや道糸は何号かな?」とか考えてしまう。(もっとも、ヒゴイは田舎でも食べないが)
 いや、不謹慎、フキンシン……!!

築山庭園は、大きな自然をなんとか小さな庭に再現しようとしているのであって、盆栽も、自然の中の大木を何とか一鉢に収めようと大変な努力をし、丹精込めて育てている。

すくすくと育ったり台風でなぎ倒されて荒れた自然の中を駆け回ることができる人(子供の頃の私)はそうすればいいし、それが出来ない、あるいは許されない人(大名の家族など)は、庭園の中に大自然を見れば、それでいい。

 そういう私も、今は小さなアパートの狭いベランダにプランターを並べて、小さな自然を家庭に作って楽しんでいる。

 ふっと思うのは、団地の共有の庭にはいろいろな庭木が植えてあるのに、食べ終わったミカンやアボカドの種をプランターに植えてみたり、本をネットで読むより買ってきたりするのは「自然を自分のものにしたい」とか「本は買って、自分のものにしたい」という「所有する欲望」というのがあるのかも知れない。

ともかく、四阿の傍の流れは澄んでいて清々しい。
 水の音も涼やかで、小鳥たちの鳴き交わす声も聞こえてくる。

 少し先に行くと、数人の方がカメラを構えて撮影している。
  池の中央の中の島か蓬莱島を狙っているらしい。
 その大池では水鳥が戯れている。
 池の中央に浮かぶ中の島も被写体としてはおすすめなのだろう。

和歌山県の妹山(いものやま)、背山(せのやま)と同じ名前がつけてある。

六義園のモデルは和歌山県(紀州)の和歌の浦や吉野流域だそうだ。

 この庭園には万葉集の和歌にちなむものがたくさんある。私は武骨ものなので、なかなか和歌は理解できていない。(なんとなく短歌、俳句、音楽、絵画などを楽しむけれど、そこに詠まれた心までは分かっていないと思う)

歩いているうちに正門(内庭大門)が近くなった。
(私がさっき入園したところは、駅に近い北の門=染井門)

  時代を思わせる四阿(心泉亭、宜春亭)があり(茶会などが開けるらしい)、その先の庭には人影が多い。

 

 
 満開の頃には、1日に3万人が訪れるという枝垂れ桜(エドヒガン)の大木が枝を張り、





 その近くの休憩所兼売店にはお土産を求める人たちの姿。

 桜の時期に、また来られると良いけれど……。

新脩六義園の碑や、東京()石碑なども庭園の歴史を物語っている。

 

 門の内側では、菊花展を開催中で、心を込めて育てた力作が並んでいる。







 









 




 門の傍に石柱がある。
 

このような石柱は、もとは園内88ヵ所(六義園八十八景)にあったものが、現在は32ヵ所に残っているとか。







 少し歩くと竹林がある。

大きな林ではないけれど、孟宗がしっかり生えていて、4月には良いタケノコが採れそうだ。「こりゃあ、春にはええタケノコが出てくるでッ!」となぜか岡山弁でつぶやいた。






(さっきの鯉といい、筍といい、どうも私は食い意地が張っているようだ。そうだ、まだおにぎりを食べてい
ないからかも)

 

  さっきの池の中の「中の島」に渡る橋(田鶴橋)は通行止めなので、左手に眺めながら渡月橋の近くの丘に登る。

 






どこかに「おにぎりランチ」にむいた場所は無いかと、探しながら歩いているけれど、あちらもこちらもベンチは満杯だ。


 無理もない、今は、12時半。みんな昼食の時間だ。

 渡月橋の水鳥を見ながら、最初到着した広場に着く。

ここもベンチに空きは無かったが、水辺に丁度腰を下ろすのに良い形の石(本当は景観の一部)があったので、そこに陣取り「おにぎりランチ」だ。

 

 いつものように、ランチは三色おにぎり(私が命名した、3つの角にシャケ、かつお節、梅干しを配置した特製特大のおにぎり)。

 この庭園は、四季折々の姿がありそうなので、また季節を変えながら訪れてみたいと思う。





 ここを教えてくれた知人に感謝しながら、庭園を後にした。



本日の歩数は、11,500歩








ホームページのトップへ