知人から「六義園は見ごたえがありますよ。時間が許せば、近くに旧古河庭園もあるし…」と勧められたので、今日は六義園。 今日は、先日の品川宿と違って快晴。散歩には絶好の小春日和だ。 山手線の駒込で降りると「確か、新型コロナ対策で、入場者数を制限するため予約制だったな」と、メモしてきた電話番号に予約の電話を入れる。 「あなたの予約番号はB〇〇…です」と言われて、メモして駅の外に出る。 駅から大通り(本郷通り)に出てみてわかった。今年の春先に仕事を手伝った会社のある区域だった。 その会社に行く路地を飛ばして、1本先の路地の入口が六義園の門(染井門)だった。いままで気にしたこともなかった。 入場門で予約番号を言い、検温と手の消毒をして入場券を買う。高齢者(65歳以上)は150円だ。
そう聞くと、水はどこから引いたのかが気になった。岡山後楽園は旭川から水を引き、小石川後楽園は神田上水からだと思ったけど、ここは?
後でネットでで見て分かった。 また、元は1695年(元禄8年)柳澤吉保の造ったもので、その後、三菱の創業者岩崎弥太郎の別邸となり、また、その後、東京都に寄付されたものだそうだ。詳しくはネット情報に載っている。 もうひとつ情報を書いておくと、小径は蛛(ささがに)の道と言うらしい。 「笹が根」から音の似た「ささ蟹」となり、「ささ」は「小さい」という意で、「蛛(ささがに)」はクモやクモの糸の意になったらしい。この林の中の道がクモの糸のように細いことから、「蛛(ささがに)の道」と名付けられたとか。(これは園内の説明版に書いてある。) クモの糸が細くても長く、切らないことから家名が永く続くことを願って名付けられたそうだ。
池のほとりの広場(紀川というらしい)では、かなりの人が景色を楽しみ、弁当を広げている。
大泉水を左に見ながら畔の歩道をゆっくりと左回りに歩いて行くと(これじゃ運動にならないな、と思いながら…)、吹上茶屋があり、お土産や食べ物を買う人でにぎわっている。
上部の荒縄は少し緩めに巻き、下部の縄はしっかりしめて、害虫が入っても、下に逃げないようにしてあるとか。 ![]()
しかし、池には、田舎の田畑を潤す溜め池にはとてもいない大きさの真鯉、緋鯉が悠々と泳いでいる。 築山庭園は、大きな自然をなんとか小さな庭に再現しようとしているのであって、盆栽も、自然の中の大木を何とか一鉢に収めようと大変な努力をし、丹精込めて育てている。 すくすくと育ったり台風でなぎ倒されて荒れた自然の中を駆け回ることができる人(子供の頃の私)はそうすればいいし、それが出来ない、あるいは許されない人(大名の家族など)は、庭園の中に大自然を見れば、それでいい。 ふっと思うのは、団地の共有の庭にはいろいろな庭木が植えてあるのに、食べ終わったミカンやアボカドの種をプランターに植えてみたり、本をネットで読むより買ってきたりするのは「自然を自分のものにしたい」とか「本は買って、自分のものにしたい」という「所有する欲望」というのがあるのかも知れない。 ともかく、四阿の傍の流れは澄んでいて清々しい。 ![]() その大池では水鳥が戯れている。 池の中央に浮かぶ中の島も被写体としてはおすすめなのだろう。 和歌山県の妹山(いものやま)、背山(せのやま)と同じ名前がつけてある。 六義園のモデルは和歌山県(紀州)の和歌の浦や吉野流域だそうだ。 この庭園には万葉集の和歌にちなむものがたくさんある。私は武骨ものなので、なかなか和歌は理解できていない。(なんとなく短歌、俳句、音楽、絵画などを楽しむけれど、そこに詠まれた心までは分かっていないと思う) 歩いているうちに正門(内庭大門)が近くなった。
桜の時期に、また来られると良いけれど……。 新脩六義園の碑や、東京(市)石碑なども庭園の歴史を物語っている。
このような石柱は、もとは園内88ヵ所(六義園八十八景)にあったものが、現在は32ヵ所に残っているとか。
大きな林ではないけれど、孟宗がしっかり生えていて、4月には良いタケノコが採れそうだ。「こりゃあ、春にはええタケノコが出てくるでッ!」となぜか岡山弁でつぶやいた。
渡月橋の水鳥を見ながら、最初到着した広場に着く。
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