天気も良いし、都内で打ち合わせもあったので、帰りに両国で途中下車して、墨田川界隈を散歩することにした。(おにぎり散歩を始める前で、この項は、1年ほど経ってから書いている。)
以前は通勤で毎日通った両国だがほとんど降りたことはない。
昔、家族で江戸東京博物館を訪ねたことがあるが、それも20年以上前のことだ。2人の子供たちは中学生ぐらいだったか。
JR両国駅のホームからその博物館が見えるが、それを毎日見ながら通学や通勤したものだった。
改札を出ると駅前広場があり(江戸・明治時代には、様々な催しがされた広場だっただろう)、その向こうに国技館が見える。駅舎の続きの江戸NORENの案内所で、地図や近辺の案内をもらって、上京以来初めての両国探訪のスタート。

国技館前には力士の名前を書いた幟が林立している。
考えてみると、上京して50年以上になるけれど、ここに立ったのは初めてだ。サラリーマンの生活はそんなものだ。
(「サラリーマンの生活圏は、家と会社と飲み屋の三角の中にある」とよく言われるけれど、私もそんな生活だった。)
横の門を入って(正門は本場所開催中の入り口らしく、入場券売り場、入場口などがあり、今は閉まっている)、前庭を一周しそれっぽい写真を数枚撮る。ほかにも数人見学者がいる。本館の向こう側のビルの工事現場のクレーンなどがつや消しになってしまう。
この国技館も1984年(昭和59年)までは蔵前国技館だったが、11月に建て替えられて今は両国国技館。
その昔、1833年(天保4年)からすぐ近くの回向院(これから行く予定)の境内で相撲の興行が起こなわれていて、旧国技館はやはりその境内に建設されたらしい。
その後戦争などで焼失したり、様々な運命を経て、1985年(昭和60年)から使用されているそうだから(詳しくはネットで見れば書いてある)、バブルの真っ最中で、まわりにビル建設の波が押し寄せたはずだから、今の建設現場に文句を言う訳にもいかない。(少なくともその前の建物も見たかったが)
そういえば、今から10年以上前だけど、新橋の駅前の広場でテレビの取材で声を掛けられたことがある。(実は、ここには私の田舎の国鉄の姫新線を走っていた蒸気機関車が展示されていて、「機関車のある新橋の駅前広場」として、何かあるとサラリーマンの一言を拾いにTVのレポーターがしょっちゅう来ている)
そのときは「朝青龍をどう思いますか?」という質問だったが「急いでいるので…」と言って回避した。
国技館の前は軽く流して、北に進むとほとんど隣に「旧安田庭園」がある。
これは一見の価値あり、と入園する。入場無料。
予備知識なしで入ったので、何も分からないが、順路に沿って進む。
伝統的な日本庭園の造りで、中央には定番の「心の字池」がある。
両国にこれほど落ち着いた庭園があるとは思わなかった。
閉園が4時半なのであまりゆっくりとはしていられない。
池のまわりを1周してみると、木立の新緑(いやもう深緑の季節だ)が水面に影を映し、ところどころにベンチもあり、おにぎりランチに最適だったが、今日は時間も遅く、昼食は池袋の小さな中華料理屋で済ませている。
浅い池の中では真鯉や緋鯉がゆったりと泳ぎ、岸辺の岩の上では亀が甲羅干しをしている。

写真を撮ろうとすると、必ず向こう側にビルやクレーンが見えるのが少し残念だ。
心字亭の近くでは係のおばさんが庭園整備をしている。木立の向こうに建物が見えるが、庭園内ではないようだ。
外に出て墨田川に沿って歩くと、旧安田庭園すぐ隣に「刀剣博物館」があった。さっき庭園内から見えた建物だった。閉館時刻を過ぎていたので、今日はあきらめた。
私の出身の中国地方では、昔、鎌倉、室町時代から桃山時代(1500年代)に、岡山から鳥取に続く中国山地で刀に最適の良質の砂鉄(赤目=あこめ)が採れ、(岡山)南部=備前では備前長船(長光、兼光、永光)をはじめ優秀な刀匠を数多く輩出している。ひと振りが5億円(国宝 無銘一文字 山鳥毛)という太刀もある。
いつか、早めに来て、日本刀などを鑑賞することにしよう。
両国駅を横切って南に出ると、回向院は京葉道路(国道14号線)の向こう側にあった。

本堂に挨拶して、境内を巡る。
この項の前の方に書いたように、もともと大相撲はこの回向院で興業が行われていたそうで(1768年) 、力塚の碑、ペットの供養塔などがある。
鼠小僧治郎吉の墓もあり、傍に、ご利益を受けるために削る石(お前立ち)も立ててある。

みんなが削ると墓石本体がなくなってしまうからだろう。 私も少し削って、粉を持ち帰った。
特になにをお願いするわけでもないけれど。
歩いているうちに年配の2人の女性から「ネズミ小僧の墓はどこですか?」と聞かれ、さっき見た墓の場所を指さすと、お礼を言いながらそちらに向かった。
ご本尊よりネズミ小僧のほうが有名らしい。ただ、歴史ものを読んでいると、回向院は頻繁に出てくる。やはり、江戸時代から現代にいたるまで、火災、震災、戦災をくぐってきた歴史があるからだろう。
この近くには、吉良邸跡、長谷川平蔵(池波正太郎さんの時代小説の主人公)の旧邸跡、長谷川平蔵屋敷跡(遠山金四郎屋敷跡)、その小説の飲み屋「五鉄」のモデルになった料理屋(今もあるらしい)、などがあるはずだけど、今日は疲れたので、またの機会に…。
今日の歩数は、この近辺で5000歩
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