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  両国3 刀剣博物館 2020.10



 

 昼過ぎに打ち合わせを終わり、午後はフリーになった。とは言っても、曇り空の下、洗濯物はベランダに干したままで、いつ雨になるか分からないので、あまり帰宅の時間が遅くならないようにしたい。(カミさんはフルタイムの仕事なので、6時でなければ帰宅しない)

 先日時間が遅くて閉館していた刀剣博物館に行くことにした。

 両国で降りて、国技館を横目に、旧安田庭園に入る。このところ両国で降りることが多く、この界隈は私の庭の様になってきている。ランチの場所に困ったら駅から3分の旧安田庭園が最適だ。両国は、都内で仕事の場合は必ず通る駅だし、帰りも総武線で1時間程度だから。

 今日も旧安田庭園でランチにする。刀剣博物館内には休憩スペースが期待できないからだ。

 今回は「心字亭」の庭のベンチに陣取る。大部分の来園者は池の周回コースを歩くので、

ここは人通りが少ない。









 今日のランチはなかなか豪華(?)だ。

 シャケ・梅干し・鰹節を詰め込んだ三色おにぎり2個と、昨夜の唐揚げ、今朝のウインナーと卵焼き、それに近いうちに孫たちが来るので、前もって作っておいた肉団子。

いつもは週に1回程度の散歩のランチだからおにぎり1個半か2個ですますけれど、今日はレアなケース。(おにぎりは食べたらなくなるけれど、「おかず入れ」を通勤バッグに入れるとぱんぱんで帰宅するまでじゃまだから)

三色おにぎりは、三種の具を中心一ヵ所に詰めるのではなく、3方に散らしておくとそれぞれの味が楽しめることがわかった。もしくは、前に書いたように太巻きにするか。。。
 トライアル&エラー(試行錯誤)を重ねて、私も日々進歩している。


前回来た時は心字亭には寄っていない。土の庭はゆったりと広く、汐入回遊式庭園だから中からの眺めも風情がある。



 





 おにぎりを食べて安心して、隣の刀剣博物館に向かう。



  


 途中、頭上で怪鳥のような鳴き声がして、心の字池の島の木の梢に降りて来た。名前は分からない。カモメでも、カモでもない。

 もっと大きくて、首も長く、サギの仲間のようだ。白鷺ならよく知っているけれど、灰色の翼だ。野生の鳥が飛来する静かな公園というか、エサになる水生動物が豊富な池があるからと言うべきか。(後ネットで調べたところアオサギだったらしい)





 鳥を見ながら、すぐ隣の刀剣博物館へ。

入場料は大人千円。入り口でコロナ対策の検温と手の消毒を済ませて3階の展示フロアへ上がる

現在は「2020年度現代刀職展 −今に伝わるいにしえの技−」の展示中。 


 来春、1月から「特別展 埋忠<UMETADA>桃山刀剣界の雄」、2月からは「第66回重要刀剣等指定展」とあり、毎月本部定例鑑賞会があり、刀剣を鑑定することができるようなので、刀剣趣味の人にはたまらないだろう。

私も興味はあるけれど、流石に何度も通えない。そもそもおにぎりランチの主目的は運動することだから。(もっとも、今日はそれほど歩きそうにないが)

1階には、刀を制作する過程がビデオで紹介されている(約1時間)。本当は刀を鍛える場面を見たかったが、時間がないので、途中で諦め、パネルの説明で満足する。








私が小学生の頃には、各村に鍛冶屋さんがあり、炉の火を強くするための鞴(ふいご)に空気を送る踏鞴(たたら)を足で踏んで鉄を真っ赤に熱し、鎌や鍬を作っているのを、学校の帰りに一心に眺めたのを覚えている。

昔を知らない孫たちのために少し書いて置くと。

「踏鞴(たたら)を踏む=勢いあまって止まれないで何歩か歩いてしまうこと」はこの踏鞴(たたら)踏みが由来。

現代の会話で同意を表す「相槌(あいづち)=向こう鎚(槌)」も、刀匠の小槌の指示に従って、弟子が大きな鎚で打つことから来たそうだ。(私は、以前は小槌が相槌だと誤解していた)

私の村の小さな鍛冶屋では親方が一人で頑張っていたけれど、刀剣などの制作には、弟子の相鎚が必要だったのだろう。 

ウチでも、包丁を研ぐために荒砥(あらと)、中砥(なかと)、仕上砥(しあげと)の3種類の砥石をもっともらしく持っているけれど、いつもは中砥だけで済ましている。
 日本刀の研ぎには12種類の砥石を使い分けているそうだ。だからあれくらいに鏡の様な仕上げになるらしい。

(もっともあれで二つ胴にされてはたまらないけれど……)

3階のフロアには多数の刀剣、鍔、拵え(柄、鞘など)が多数展示されている。

入り口には現代工の受賞作が展示されていた。

室内に入ると、現代の名工たちが研ぎあげた古刀、新刀などが整然と展示されている。



 確かにもともとは人を切るための道具ではあるけれど、それが芸術品に昇華された日本刀の美しさが堪能できる。

右回りの最初には、備前長船(私の故郷岡山の名刀)がある。

「備前国住長船七郎衛門尉祐定作」とあり、研ぎあげたのは杉原宗都さんという現代の研師だ。

他にも数十点の太刀が並び、全体像も綺麗だが、刃文もさまざまで、ゆっくりと日本刀を鑑賞できる。

 写真もたくさん撮ったけれど、著作権やその他の権利があるかも知れないので、この1点だけお借りしておく。




 

 同じフロアには現代工の鍔の受賞作、や、拵(こしらえ)の展示もある。

鍔(つば)の部門には女性作家の斬新な作品もある。

拵えの部門で一つ勉強になったのは、鞘(さや)の鍔近くに戦いのためではないものがあること。

片面の外側には「小柄(こづか)」があり、これは戦いの場で使う小刀だけど、もう一方の外側には「笄(こうがい)」が備えられ、これは日頃の身だしなみにつかう。
 1本もののしゃれた櫛(くし)の一種で、髪やちょんまげが乱れた時に、整える時に使うためだそうだ。武骨な侍が身だしなみを気にしている姿を思い浮かべると、なんとなく微笑ましい気持ちになる。

 また、「太刀」は刃長が60センチ以上のもので、刃を下にして佩く(はく=腰に差す)もので、平安後期から室町。

「刀」は刃長が60センチ以上のもので、刃を上にして差すもので、室町以降の作だそうだ。

「太刀」も柄を切り詰めて短くすると「刀」になるとか。だから、古刀の名作も柄を切り詰めて銘の部分がなくなると、誰の作か分からなくなる。そういう隠れた銘作も多くあるのではないかと言われているそうだ。

私の勝手な見方だけど「太刀」はどちらかというと権威を示す飾りの様な大人しいイメージで、「刀」は戦いの武器のような感じがする。刃を上にして腰に指していると「寄らば切るぞ」という感じ、刃を下にしていると、少し戦いのイメージが弱い。

まあ、「馬上の戦い」向けとか、「地上の戦い」が中心になったとか、時代の変化でそうなったのだろう。
 

そういえば、義母の使っていた包丁の中から、真っ赤に錆びて、柄もぼろぼろのを頂いたので、駅前の昔ながらの金物屋さんで柄を買ってきてつけ替えて使っているがとても良く切れる。
 奈良の刃物屋さんの銘が微かに「菊」と読める。もしかしたら刀鍛冶の末裔さんかも……。

 


 最近柄がポロンと取れたので見ると、柄の中の部分(刀で言えば茎(なかご))が殆ど錆びて短くなっている。どうしたものかと考えた。刃の根元を切り落とすか擦り減らすにしてもバインダーなどの道具がない。
  仕方がないから、新しい木の柄に切れ込みを入れて、刃の部分も一部分柄に埋め込んだ。
 かなり「猪首、いかり肩」の包丁になったが、使えるようになった。


 今はウチのなかで、この10年あまりは「賄い方」を引き受けているので切れる包丁が無いと始まらない。

 この包丁は、研げば切れる。「切れ」の持ちが良い。野菜でも肉でも魚でも、きちんと研いでおけばスパッと切れる。よくいうトマトもすっきり切れる。本体が厚いから魚の骨も遠慮なくバンと叩き切る。

私は、フライパンと包丁が使えれば、何でも作れると思っている。「切る、刻む」の時間が掛からなければ料理は苦痛にならない。
 もっとも、味はカミさん(=ウチの「シェフ」)頼みだけど。(私は、特に煮物の味付けはとてもヘタ!)
 ともあれ、この包丁は、きっと、研ぎ進んで「ペティナイフ」になるまで使うと思う。
 刀剣の話が、いつのまにか家の古い包丁の話になってしまった。

話を戻して……、ここに書いた刀剣に関する説明は博物館のパンフレットから得た情報だけど、面白い話がたくさん書いてある。

その中からひとつ借りておくと:
 刃紋は鍛造の過程で入れるのかと思っていたが、実際は殆ど出来上がった段階で、焼刃土(やきばつち)というものを刀身の上に乗せて焼き入れをすることで、直線的なものや、波(湾れ=のたれ)とか丁子(ちょうじ=こまかな波模様)などを入れるそうだ。

 考えて見れば、鎚の打ち方であのようななめらかな、あるいは、(心臓)のパルスメーター画像のように細かな模様は入れることはできない。

30分の予定が1時間に伸びたけれど、未知の情報が一杯で、十分楽しむことができた。

 

博物館の外に出ると、目の前が「旧安田庭園」の西側の入り口だった。閉門時間は18時になっている。国技館側からの入り口は16時半だったはずだけど。

 また庭園経由で駅に向かおうと入園したら、どこかのホテルか結婚式場の人たちが写真を撮っていた。

 新郎と花嫁に家族とカメラマンが付き添って、庭園内を歩きながら、絵になりそうな位置を探して撮影していた。





 1時間前にいた怪鳥(?)は、まだ心字池の島で、獲物を探していた。あの体の大きさからいうと、メダカ数匹ではとても食料には不足だろう。もっとも、私はあの鳥の餌が、昆虫・魚なのか、穀物か(来園者の食事の残り。=これは残さないことになっている)知らないけれど、あのくちばしの形から見ると、やっぱり魚だろう。

 人(私)も、鳥も、生きるのは大変だな。


本日の歩数は、8,700歩。






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