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前回は木場公園を歩き、仙台堀川公園の西の一部を散歩したので、今日は東から西に向かって、この公園を歩こうと思う。
公園の長さは、4km弱とのことなので、始まりの「駅から」、と、終わってからの「駅まで」を入れると丁度良い距離だと思われる。
地下鉄東西線の南砂町駅で降りる。長いサラリーマン人生の中でも、この駅を利用するのは今日が初めてだ。
北側の出口から出ると、目の前に公園が広がり、青空に向かって立つ時計塔は11時20分辺りを指している。
公園の樹々は紅葉が始まり、中でもイチョウの巨木は黄金色の葉を地上に降らせている。
今日の目的地はここでは無いので、中道を抜けて丸八通り?を北に向かって歩くと「TOPYREC PLAZA」と言う看板の門。手前には車止めがあり、中には歩行者と自転車のみ通行できる道が中央を走っている。
ショッピングセンターのようで、イオンの大きな屋上看板が目を引く。
ここも通り抜けて、仙台堀川公園を目指す。
葛西橋通を横切り歩道を歩いていると左手に広場が見えるので、入ってみるとここからが仙台堀川公園の始まりのようだ。 「であいの広場」というようだ。
「再生」と名付けられた碑に、この公園の由来が記され、また、 林の小径脇に「砂町運河跡」の説明板が立っている。 元は船による運送のための運河として開削され、昭和55年に役目を終えて埋められ親水公園となったそうだ。
そういえば、隅田川を主流にして、この北を流れる小名木川、西で合流する横十間川、両国の南の堅川など、江戸から昭和までの水運を担った重要な「運河」だったらしい。 そのような川の名前を知ったのは、コロナをきっかけにこの「おにぎり散歩」を始めてからのこと。
これからも、江戸の地名や川・堀の名前に出会うだろう楽しみがこの散歩にはある。 公園内を北に進むと、突き当りに「旧大石家住宅」があり、中から尺八に合わせた合唱の声が聞こえてきた。今日は唄の稽古の日のようだ。
江戸時代に建てられた民家の住宅が江東区の指定有形文化財に指定され、ここに移築したそうだ。
一時的に公園の外側の歩道を進むと釣り堀がある。
その「砂町魚釣場」では、自称太公望の皆さんが釣り竿を振っている。まあ、それを見ている私もそのひとりではある。
この先の小名木川まで公園は続くけれど、今日はここまでで止めて、元の「であいの広場」に戻り、西へ向かって歩く。
ここからは「歩け、あるけ」の散歩に移る。
園内を西に延びるメインの道があるけれど、それを外れた落ち葉の中を、目と足と耳で秋を味わいながら歩く。
木々の梢から小鳥の鳴き声が聞こえてくる。
砂町橋の下を抜けた先の木立の中に「潮入りの池」がある。
池の畔の四阿の屋根の下、ここにも年配の太公望がひとり。
50�pぐらいの短い竿で、浮きなしのドブ釣りで、練り餌のようだ。 「こんにちは。何が釣れますか?」 「クチボソですね。ほんとうはタナゴを釣りたいんだけど」 「えっ、タナゴがいるんですか?!」 「ええ、みなさんがコイやタナゴやフナ、ヘラなどを放流しているんでね。午前中はヘラ釣りの人がかなりいたけど、いまはわたしだけですよ」 とのこと。 池を後に、西へ進む。
旧福島橋をくぐるとハーブ園。レンガを積んだ円形の花壇の中で、赤い小さな花が咲き乱れている。
(さて、あのハーブは?)
家では、ローズマリー、レモングラス、レモンバーム、月桂樹ぐらいはベランダのポットで育てている。ああ、そういえばラベンダーもハーブの代表格だったか。
一番活躍しているのは月桂樹だ。カレーを作る時は、月桂樹の乾燥葉を4,5枚ほど放り込んでいる。
今は自分で握った「おにぎりランチ」があるから、外食しないが、以前はランチにカレーを食べることもあった。 時折立ち寄る激辛カレー(ちゃんと美味しい)屋さんでは、月桂樹の葉が一皿に1枚必ず入っていた。
(きっとカレーを煮込む寸胴には沢山の月桂樹を入れていることだろう。うちのベランダの木では、ひと鍋で丸坊主になるだろうな)などと考えながら、激辛カレーと格闘したことだった。 ラベンダーは、花を楽しんだ後は、天日で干して(ポプリというほどしゃれたものではないが)籠や容器に入れて、玄関などに置き芳香剤代わりにしている。
レモンバームは、あまり育っていないので、とてもハーブティーにするほどの葉は取れない。これは、他の植物を抑える物質を出すといわれるローズマリーと一緒に植えているせいかも知れない。
そのローズマリーは、枝を切って挿し木にするとどんどん増えるので、知り合いに配っている。家では「香草焼き」にするような上品な(或いは高級な)魚は殆ど食べないので、乾燥させてラベンダーと一緒に「芳香」用に使っている。
サンマやイワシを香草焼きにしても、魚の匂いの方が強烈で、「香草」の意味がないし、あの、サンマなどの焼ける「匂い」も「煙」も美味しさのうちだから、そのまま煙が出てジュージューいっているのにかぶりつく方が、食べ方としては私に向いている。
公園内には、砂地の多目的グラウンドやゲートボール場、芝生の広場、などがいくつも配置され、住民の皆さんの身近な憩いの場となっているようだ。 歩を進めると、辺りの景色が開け「流れる川」の広場に出る。
岩組の水源から、石を配置した中を、しぶきをあげて流れてゆく先に、澄んだ水をたたえる池が静かに待っている。解放感と清涼感が心地良い。
紅葉した木立の広がる小道を歩き、明治通りが頭上を走る旧弾正橋をくぐると、科学の森。
この公園で見られる植物紹介のパネルが立っている。ミツマタやコウゾなど、和紙の原料となる木も生えて(植えて)いるようだ。
今から60年以上前の、小学生の5年か6年の夏休みの工作で、和紙を手作りしてみたことがある。その時使ったのは、家の周りに生えているコウゾだったと思う。
思えば、田舎の家の周りにはいろいろ楽しい木が生えていたものだ。
庭の隅にはスモモ、裏の空き地にはグミ(岡山ではグイビ)、ユスラ(ユスラウメ)。畑の端には梅や桑の木。そう、唱歌の「赤とんぼ」に出てくる「山の畑の桑の実を
小篭に摘んだは まぼろしか」の桑の実は、ミニチュアのブドウの房の形をしていて、赤から紫に熟れたら食べごろ。噛むと野生の甘酸っぱい果汁が口中に広がった。子供たちは、口の回りを紫に染めながら、夢中で「桑イチゴ」を頬張った。(桑の木があったのは養蚕の名残だと思う)
あの戦後の頃はみんな貧しくて、甘い菓子を買うことは殆どなかったけれど、田舎の子供たちは、家の周りの木の実を味わい、里山のキノコ狩りを楽しみ、身の回りにあるものを使っての手作りの工作で、創作力や想像力が養われたかも知れない。(その里山も、桃畑やブドウ畑になって、昔の姿はない。)
そして、あの悪ガキ世代が「団塊の世代」で、今は、みんな70台の半ばになっている! 橋を渡って、松島橋の下を抜けると、森閑とした林の中の「もみじ池」に出会う。
ここは釣り禁止で、あまり手を入れない自然の池で、澄んだ水底には落ち葉が沈み、木漏れ日の落ちる水面で鴨が数羽遊んでいる。
「いこいの森」と多目的グラウンド風な広場を過ぎ、尾高橋の下をくぐり抜けると、小道の脇に昔の水門を動かした機械の一部が展示されている。
説明板によると、以前は、この辺り(江東区砂町地区)の水害を守るための尾高水門(マイターゲート式)があり、これはその水門の心臓部にあたる機構部品だそうだ。
ここは仙台堀川と横十間川の交わる地点。
その小橋を渡ると尾高管理所の建物と記念像、そのまた先(横十間川上流)左岸に貸しボート屋さんがあり、スワンボートならぬワンワンボート。(実は犬か熊かわからない)と、手漕ぎボートが十隻以上出番を待って係留されている。店の窓は閉まっている。
時刻が12時半だから、店番の人は昼食に出掛けた様子。
公園の管理事務所の建物(?)脇、ビワの木の根元に不思議な像がある。お賽銭をあげようにも賽銭箱は見当たらない。お地蔵さんでもなく……。
何かをイメージしたモニュメントにしては、古そうで、小さくて。 でも、なにかご利益がありそうで、手を合わせておく。
視線を川の方に向けると、南北に流れる横十間川と東西に流れる仙台堀川の交差する場所の真ん中に小さな島が出来ている。砂洲が育って島になったのだろう。
「野鳥の島」と名付けられた無人島(?)を右に見ながら、横十間川に架かる橋を渡り、再び仙台堀川沿いに戻り、散歩を続ける。
ちなみにこの辺りは東陽7丁目。
川沿いに進むと井桁のモニュメントがあり、その先の砂地の広場では、年配の男性が二人、秋の日射しのもとでゲートボールに興じている。 そのまた先には、「しぶき」と名付けられた本陶壁の20mのモニュメントがある。
ここからは先日、西の木場公園から足を伸ばしたところだ。 前回写真を載せていないので、ここに入れておく。
ここからは、前回の帰路と同じになる。
豊住橋の下の浮橋を通り抜けると魚釣り場。前と同じく、かなりの人たちがヘラブナを狙っている。長閑な景色だ。 河原の流れを横切るための小さな橋「つばき」を渡り、前回の対岸を歩く。 この前ランチを取った広場に向かうと、川辺で白鷺が4,5羽、流れの魚を追っている。
先日は孤高の?アオサギ、今日はシラサギの群れを見たので満足し、「子供の像」を撮って、散歩は終了。
今日の歩数 18,800歩 |