
| 今日の散歩は北区赤羽の公園。 仕事で行っている会社の人が「その探している公園は清水坂公園かも知れないよ。子供たちの遊ぶ滝もあるし……」と言うので、行ってみることにしたのだ。 前に書いたけれど、20年ほど前に仕事の打ち合わせに行った時、小高い畑地の左下の渓流に、子供たちが歓声を上げて水浴びしている自然の滝があった思い出があり、健康散歩をしながら、記憶に残るその滝を探している。 まあ、「自分のルーツを探す」ほどの課題ではないけれど、(都内にこんな滝があったのか!)と感心した思い出が鮮烈なので、いつも気にしている。 郊外の街らしく、高いビルが道路際まで迫っていない道が一直線に伸びているのが気持ち良い。 快晴の空の下、早足で歩いていると、道路の向かい側に2階の壁一面に「雪の元」という大きな看板文字を書いてあるこじんまりとしたビルが見える。 実は、私は田舎に居た小学生の頃から、富山の配置薬の中にあったこの「雪の元」という塗り薬を愛用している。 そんなに有名なブランドでも商品名でもないけれど、小さな切り傷ややけどには効いている気がする。(写真は20年以上前の旧版と新版) 立ち寄って予備を1,2個買おうかと思ったが、シャッターが下りている。 すぐ隣に赤羽西交番があるので、お巡りさんに聞くと、 「ああ、あの漢方薬屋さんね。ここしばらく閉まったままですね」 とのこと。 知らない土地で知人に遭遇したような、懐かしい気持ちがしていたけれど、残念ながら店の人には会えなかった。薬は後日通販で購入できた。 記憶が定かではないけれど、この薬は元は「富山の薬売り」さんが、各家庭の常備薬の一つとして置いていたものではないかと思う。
同世代の人なら同じ思い出があるかも知れないけれど、昭和の半ばには、「富山の薬売り」たちが薬籠を背負って田舎の家庭を廻り、薬を何種類か置き、年に1回ぐらい消費した薬の売り上げ精算と薬の入れ替えにやってきた。 その薬売りの3段組みの籠(葛籠というか行李というか)の中には、薬の他に、小さい籠には子供が喜びそうな色鮮やかな紙風船やとんがり帽子などが入っていて、ひとつ、ふたつ置いて行った。 私たち子供は、薬を入れ替えるその手際の良さに関心しながら、実はその後にくれる紙風船を楽しみにしていたものだった。
元の道に戻って、赤羽西二郵便局前を通り、少し進むと鉄道の高架があり、それを過ぎて坂道を上っていると、右の路地の奥に林が見えるので、そちらに向かう。 小さな空き地に「若宮八幡神社」の立札があり、その右奥に鳥居が見える。
小さな社に賽銭を納め、下りのじぐざぐの階段を降りる。 この細い坂の階段は意外と風情があり、この神社の昔の参道はこちらだったのではないかとも思う。地元の人には馴染みの神社だろう。
坂を下り切ると、細道の奥に樹々の緑がみえるので、そちらに向かうと清水坂公園が現れる。
手前右には薄い砂地の運動スペースがあり、その左に管理棟(ビジターセンター)、その前から奥に向かって自然の緩い岩場を模した「流れ」、その奥にはゆるやかに二つの弧を描く長いローラー滑り台やブランコ、そして左側には芝生の広場(多目的広場)。 「流れ」は、今日は水を流してないが、夏休みの頃には子供たちが元気に遊んだであろう小石や大石、飛び石の河原が造ってある。
流れを遡ってゆくとレンガ色の橋があり、その橋には「ガマ蛙」のレリーフが埋め込んである。
さらに坂道を曲がりながら上ると、滑り台の起点に着き、上のスタート台に立つと管理棟、ブランコなどの遊具コーナーが見下ろせる。
さすがに滑り台で滑り降りるわけにも行かないので、傍の小さな階段をよろよろと降りて、管理棟にお邪魔する。
管理棟(ビジターセンター)には、この辺りの水中生物や植物が展示されていて、その中に青大将の透明な飼育箱もある。 田舎に生まれ育った私だけれど、青大将をじっくりと見るのは初めてだ。 細いけれど、長さは60〜80�pはありそうな青大将が飼育箱のプラスチックの壁に上半身(どこまで上半身で、どこから下半身か知らないけれど)を貼り付けて休んでいる。 そうそう、(前に話したかも知れないけれど)田舎にいるころは、(高校生の頃)納屋に作ってもらった勉強部屋の壁を20�pはありそうなムカデが壁を這っていたり、外の草むらでは青大将が蛙を呑んでいたり、夜、魚を突きに行くとマムシが川を泳いで渡っていたりした。 池の堤防で屋根材の「茅刈り」をした父や兄は、「今日の獲物は2匹だ」と言いながら、2匹のマムシを捕まえて来たことも度々ある。 そのマムシは頭を串に刺し皮を剥いで、軒先に吊るして干し、カリカリに乾いた骨を数センチに切って火に炙り、夏バテ防止に父が食べていた。(時折、カケラが料理にも入っていた!) ひと夏に沢山取れたマムシは、そのまま軒先に干していると、都会から来た薬用酒の会社の人が買っていった。 上京して、飲み会の話題で「田舎ではマムシを食った」と言うと、みんな「マムシのぶつ切り」(江戸時代の「かば焼き」発明前のウナギの食べ方)でも食べたと思うらしかったが、そんな料理は流石に無くて、骨の干物の焼いたものを食べただけ。 で、青大将やマムシの話はともかくとして、ビジターセンターから砂地の運動場に行き、ベンチでおにぎりランチを取る。
この公園は近隣の住民にとってはとても快適な散歩の場らしく、ぽつぽつと昼下がりの休息を求めて立ち寄る人が途切れない。
ランチの後は多目的広場の外周を歩くと、秋空に伸びるモニュメントと公園名が掲示されているので、これも一、二枚撮る。
ふっと、さっきの公園入口を見ると、正岡子規の」赤羽根土筆(つくし)摘み歌句」が碑になっている。 公園を後にし、来た道を駅に向かい、途中から本道ではなく、高架沿いの裏道を戻る。
「人の行く
裏に道あり 花の山」ではないけれど、車の往来する広い道より歩きやすく、青空に緑の葉と黄色い柿が鮮やかな民家の軒先の柿の木や、真っ赤な実がたわわに成ったハナミズキの(歩道の)街路樹が続いている。 駅に着くと、まだ1時間は余裕があるので、板橋駅で降りることにする。
以前の散歩で、時間切れで行けなかったところを見るためだ。 時代物の小説を読んでいると、「板橋宿(いたばしじゅく)は江戸と京都を結ぶ歴史ある内陸部の街道「中山道」の最初の宿場町」と書いてあるけれど、今回はそこまで歴史を辿る散歩ではなく、ただ新選組の近藤勇(こんどういさみ)たちの墓に参るためだ。
板橋駅前のロータリーから見える一角に、(永倉新八が発起人となり建立したという)正面に近藤勇と土方歳三の名を刻んだ高さ約3.6mの供養塔、その供養塔の側面には新選組の隊士の110名の名前が彫られている。 近藤勇の「今宵の虎徹は血に飢えている(「よく切れる」の説もある)」が本当かどうかは別にして、愛刀の長曽祢虎徹(ながそねこてつ)にも興味があるけれど、どこに行けば見られるか知らない。 今日の散歩では「記憶の底にある滝」は見つからなかったけれど、秋の日射しがあふれた広い公園と、新選組の歴史の一部を見たので良しとして仕事に向かった。 今日の歩数 13,900歩
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