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    等々力渓谷 2021.11




 

 今日は家からは少し遠めの、わたし流に言うと、「東京の西半球」の散歩。

 あさイチの仕事に手間取ると11時頃になるので、散歩先として東京駅から日本橋界隈を考えていたが、何とか時間の余裕があるので、以前から気になっていた等々力渓谷に行くことにした。

 品川から1駅の大井町に行き、東急大井町線で等々力駅へ。

この線に乗るのは初めてなので、よそ者の視線で車窓の外を流れる景色を眺める。

 のどかな田舎駅(地元の方々、スミマセン!)が現れては通り過ぎ、千葉で言えば京成線の雰囲気(京成さん、ゴメン!)。

 しかし、車両はきれいで都会の列車の雰囲気がする。

 小中高校生の頃、私の田舎の姫新線(姫路―新見線)は、初めは蒸気機関車に引かれる客車で、夏に窓を閉め忘れてトンネルを抜けると、白いシャツに煤が降りかかり、それを落そうとこするとシャツに黒いシミが塗りこめられたものだった。

あの機関車は、今は新橋駅の広場に展示されている。



 今は新橋駅前の広場に展示されている、嘗て姫新線を走っていた蒸気機関車 CII292



 その後、はじめて上京するころにはディーゼル機関車に変わり、姫路経由で大阪まで行って、夜の9時頃に東京行きの夜行の急行(確か特急「銀河」だったと思う)に乗り換えて東京に向かった。

イスは向かい合わせの4人掛けのボックス席で、座席から垂直に立ち上がった木製の背もたれは、少しクッションの部分はあるけれど、居眠りもし辛い硬さだった。

 途中の駅で、ホームを売り歩く弁当売りから「幕の内」とプラスチックの急須に入ったお茶を窓越しに買って、夜食を食べた。

遠くの建物の明かりが後ろに流れて行くのを見ながら、時どき通過する踏切の、近づくときは急に大きくなり、遠ざかる時は耳の中に余韻を残しながらゆっくりと音が消えてゆく踏切の警報の、物憂いような、郷愁を誘うような音に、上京してから先の不安をかき立てられながら、眠れぬ時間を過ごした。






 朝5時過ぎに、東京駅に着くころには、乗客は睡眠不足で赤い目をし、座席の下は弁当のカラや、靴を脱いで足を伸ばしていた新聞紙などが散らかっていた。
 同世代の方の中には、地方や列車は異なっても、
「そう、そうだったな!」
と同じような経験をした方も多いと思います。

あの夜行列車の旅は、もうすることはない。
(「出来ないだろう」と「しなくて済む」を含めて)

 

 その数年後の1964年に、東海道新幹線が開通したけれど、「ビジネス特急」と呼ばれたように、勤めの人が効率的に出張をこなすには役に立ったが、庶民の移動には高めの料金で、しばらくは「いつもの夜行特急」のお世話になった。

 


 ということで、大井線の話に戻ると、等々力駅で降りると、小さな柵に「等々力渓谷→」の看板が取り付けてある。

 

 

道路の向こう側に、建物の間から森が見える。駅から3,4分歩くと、路地というよりやや広めの道路が右に入っている。



橋の手前に「等々力渓谷公園」の指標。

 

橋のたもとの狭い石段を降りると目の前を細い川が流れている。






頭上の朱色の橋が木々の緑と相まって存在をアピールしている。

この橋は「ゴルフ橋」。

昭和の初めの頃、ゴルフコースがあったことから名付けられたそうだ。

小川に沿って遊歩道が整備されていて歩きやすい。


水は澄んでいて川床が見える。

残念ながら生き物の姿はないが、小さな段差で秋の陽射しに踊る水しぶきは美しい。

遊歩を楽しむ人たちとすれ違う。

歩道が狭いので、お互いに時どき広い場所を選んで、すれ違いながら進む。

この川の名前は「谷沢(やざわ)川」

少し下ると前方頭上に橋が架かっている。

環状9号線がこの渓谷を跨ぐ玉沢橋。



幼稚園ぐらいの子供たちが先生に引率されて遠足に来ている。

川に架かる小さな橋を、おそるおそる渡り、渡り切ると歓声を挙げている。

その先に「横穴古墳」の表示があるので、橋を左に渡る。



少し坂を上ると広場があり、トイレ棟や、この広場の周辺に住む小鳥や生えている樹木の紹介パネルなどが建ててある。


 「3号横穴(おうけつ)」と名付けられた古墳には内部に照明が置かれている。これは奈良時代の、土地の有力者の墓だそうで、奥行きは13メートル。

 この古墳時代末期から奈良時代にかけては横穴墓が多く造られているとのこと。






 1号、2号の跡もあり、ベンチも配置されている。「ランチの場所候補」として記憶して置き、川沿いの遊歩道に戻る。

 せせらぎを楽しみながら進むと、右手の林の枝越しに古そうな小さな庵風な屋根が見える。



笹の小道を上がってみると、子どもの像が据えてある。

「稚児大師堂」とのこと。

弘法大師の子供の頃の像を大師生誕1200年記念に建立した、とある。気持ちの賽銭を供え、家族の健康をお願いする。

 その太子堂から見下ろすと、橋向こうにかなりの人が集まっている。







 渓谷に降りて「利剣の橋」を渡ると、そこには観音さまと太子さま2人の像が建ち、その隣に細い滝が流れ落ち、またその左の川縁に不動堂が、赤い幟をはためかせている。





















 この滝が「不動の滝」で、ここを等々力(とどろき)渓谷と呼ぶのは、この不動の滝の音が轟いたからだそうだ、










 一休みできる甘味処「雪月花」もあり、ベンチで汗を拭っている人も。





 そういえば、昔の新聞の4コマ漫画に「轟先生」とか「フクちゃん」とかあった覚えがある。



どちらも昭和を代表する4コマ漫画で、ほのぼのとした話を描いていた。  

 子どもの頃に、この「轟先生」で「とどろく」の漢字を覚えたけれど、都内を走る路線バスなどに「等々力行」と表示が出ていて、それが「とどろきゆき」だということが分かるまでに相当時間がかかったし、なぜそれが「とどろき」なのか分からなかったけれど、やっと解決した。

 















  滝の写真を撮り、石段を登り切ると「等々力不動尊」。

  境内では菊花展も開かれていて、丹精込めた力作が並んでいる。









  展望台もあるので上って見ると、緑が波打つ渓谷が延びているが、川の流れは樹木に覆われていて見えない。


 

 目黒通りに面した山門から臨む本堂はなかなか立派だ。

 

 再び川に下り、少し上に戻って、古墓の近くのベンチで昼食。麦茶を飲むと、背中の汗が引いて行くのがわかる。

 紅葉混じりの渓谷を見おろしながら、いつもの特大三色(?)おにぎりを食べる。




 昼食後、再度石段を下って川に出て対岸を下ると「日本庭園」の表示があるので、右手の坂を上ってみる。












 小さな山水もあり、大きなまん丸い緑の実をつけた木が植えられたミカン園(散歩の女性たちは「ポンカンかしら」と言っていた)や、竹林があり、素朴な庭園に心が休まる。

一番上の平地の休憩所では高齢者の皆さんがお茶の時間。

 この渓谷では、保育園のこどもたちから90才過ぎ位の夫婦まで、それぞれの体力に合わせて自然を楽しんでいる。

 出発点のゴルフ橋にもどり、等々力駅から帰路に就く。

 

大井町線で溝口行きに乗り2駅ほどで、四角いビルと、派手な看板が増えてきたと思ったら二子玉川駅。

駅のホームも、今までの駅と大きなギャップがあり、近代的な造りのホームだ。

ここは大井町線と田園都市線の交わる駅なので、特に大きいのかも知れない。







 次の乗り換えの渋谷駅で地上に出て見ると、ハチ公広場のハチ公の像は以前と違う位置で(私はしばらくここに来ていなかった)、「火の用心」のタスキを掛けて鎮座し(師走がもうすぐなので・・・)、スクランブル交差点ではコロナ前と変わ
らない人の波が、思い思いの方向に流れていた。



 






今日の歩数 15,800歩






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