上野は頻繁に通る駅なのに、まだ知らないところの方が多い。
今日は、このまえ時間切れで行けなかった、上野公園内を歩く。
JR上野駅の公園口側で降りると、景色がいつもと違う。ほんの数ヶ月前に通ったはずなのに……。
公園口の道路が拡張工事中で、以前は狭い道路だったところに、バスが乗り入れられるぐらいのロータリーを作るらしい。
確かに上野駅周辺では観光バスが乗り入れて駐車できるスペースはこの辺りでないと確保できないだろう。
林の中の野口英世像を通り過ぎて、右手の国立科学博物館の入り口では、コロナ対策の入場予約制らしく(特設展などのためかも知れない)係の人が数人待機して、入場者を案内している。その入り口のすぐ隣(博物館の敷地内)に黒いものが見えた。機関車のD51だ。つい野次馬根性(というか、少年のような好奇心というか)に誘われて、写真を撮る。

銘版の下で猫が1匹昼寝をしていたので、大き目の写真にする。
その博物館の敷地の東の端には巨大なクジラの像。
これは本物のシロナガスクジラを手本に、実物大の像をつくったものとか。
本物は長さは30メートル、体重150トンあったらしい。
「本物はこんなに大きかったのか!」と「子供の頃、毎日のように食べたクジラの黒皮をダシにしたみそ汁は美味かったな!」とを、同時に思った。
今は調査捕鯨が行われているが、缶詰の値段も高く、なかなか買えない。
もっとも、小学校の給食に出た、あるいは日常的に肉と言えばクジラだったころの、鯨肉の印象はそれほど美味かったわけではない。
「クジラを百匁(ひゃくもんめ=約400g)ください」と言って、近所の「何でも屋商店」に買いにいったものだった。
大人になってから、飲み屋でたまに口にした畝須(ウネス)は美味かった。
針路を北に取り、噴水の公園の傍の林の中のベンチでランチの予定。
ほとんどのベンチに先客がいて、なかなか空きが見つからない。
道路を挟んだ東京国立博物館の端の向かい側辺りの林で空きベンチを獲得。やっと「おにぎりランチ」だ。
ランチの後は再び「歩け、歩け」。
次の目的地は東叡山寛永寺。
徳川家の菩提寺として有名だから、名前は聞いていても、行ったことはない。
途中で、前にフォトブックに「昔のハエ叩きは棕櫚(シュロ)で作った」と書こうとして、なかなかいい写真の手持ちがなかったあの棕櫚の木を見つけたので、写真を一枚。
そう、私の育った田舎の家では、昔はハエが多かった。蚊も多かった。 ハエが多かったのは、家畜がいたからではないかと思う。蚊が多かったのは、水溜まりや雑草地が多くボウフラのすみかになっていたからではないか。
ハエは「五月蠅い(うるさい)」と書かせるぐらいで、5月頃から一気に増えた。食事のテーブルの上にも、台所の調理場にも、わんさか飛んでいた。
みんなから遅れて食事をする人の為には、テーブルに用意した料理の上に、網を張った小さな四角いテントのようなカバーをかけてハエを防いだ。
もっとも、たべている茶碗にさえもハエはたかって来たけれど。
また、天井からぶら下げるリボン状のハエ取り紙や、平らな、粘着型のハエ取り紙も並べたが、ハエの絶対数が多すぎた。
市販のハエ叩きもあったけれど、家で自作したのはシュロのハエ叩きだった。
シュロの葉を、葉柄部分から手の平くらいまで残して葉を落として作った。(小学生の私が自分で作ったわけではないけれど)これは結構叩きやすかった。
時に部屋の壁をムカデなどが這っていても、シュロのハエ叩きは硬くて丈夫なので、そのムカデを叩き落せた。(田舎にはいろいろな虫が普通に身近にいた)
ついでに「蚊帳(かや)」の話。
前に書いたように、夏は蚊が多くて大変だった。今のように虫よけのスプレーがあるわけでは無く、せいぜい「蚊取り線香」があるぐらいだった。アースのポンプ式霧吹きの殺虫剤もあったかな。
夜、寝る時は、庭から道路に面した家の表側(南側)の雨戸は閉めるが、裏側(北側)の戸は開け放って、風の通りを良くした。扇風機もなく、ましてやクーラーなど無い時代だから自然の風がクーラー代わりだった。
風は抜けるけれど、蚊の来襲は大変。だから蚊帳が活躍した。
八畳用とか六畳用とかあり、蚊帳に30pぐらいの紐がついていて、(端にリングがついているものもあったか)、四方とその間の二ヵ所ぐらいを部屋の梁に打ってある釘かフックに引っ掛けて止める。もちろん布団はその蚊帳の中に入っている。
蚊帳に入るときは団扇で蚊を追い払いながら、低くかがんで素早く蚊帳をめくって中に入る。
蚊帳の中は天国で、蚊も他の虫も入らない。
眠るまで電気を点けていると、戸を開け放っているので、カナブンやカマキリや、時には間違って蝉まで部屋の電灯に向かって飛んでくるが、蚊帳の中は安泰だった。
また、麻製の蚊帳は雷にも有効と言われていて、(大人が子供たちの為に言っただけかもしれないが)、夕立の雷の時も麻の香りのするさらさらの手触りの蚊帳を引っ張り出して、その中で震えていた。でも、半分は面白く、蚊帳の中で騒いでいた。
「団塊の世代」の方の中には同じ様な経験をした人も多いのではないかと思う。
あれから60年経って、今では日本で蚊帳を使う家庭は殆どないと思われるが、近年は東南アジアの国々で日本の伝統の蚊帳が活躍していると先日のニュースで伝えていた。
さて、しばらく歩くと寛永寺。
但し、墓地には関係者以外は入れないので、本殿の門の外から眺めるしかない。
もっとも、「将来の墓地を探しているのでお邪魔します」とでも言えばいれてもらえたかもしれないけれど、徳川家の菩提寺では恐れ多いのでやめた。


庭から、根本中堂と、徳川歴代将軍御霊廟の門を眺め、ゆるやかな坂を鶯谷駅に向かって下ってゆくと、開山堂の立派な門もある。

考えてみると「上野のお山」はもともと寛永寺の山だから、不忍池の弁財天堂も清水観音堂も寛永寺の建物だ。
ホームページによると「開かれた寺」を目指しておられるようだから、いつかゆっくりと歴史でも思い浮かべながら、寛永寺をメインに歩いてみようと思う。
もっとも「健康散歩」では、なかなか「ゆっくり」とは行かないけれど。

やっと、鶯谷駅に到着。
本日の1日の歩数 11,200歩
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