今日の「おにぎりランチ」散策は、上野界隈。
JR御徒町で下車。松坂屋の横を通って上野広小路へ出る。
左手には「鈴本演芸場」
演芸場といえば私の憧れのひとつで、いつかのんびりと演芸場に行って、落語か講談あるいは漫才などを見たり聞いたりしたいと思っていたが、いまだその機会は来ない。
高校生のころ、受験勉強の最中に、よく深夜放送の「ながら族」をやっていた。
この言葉はもう死語かもしれないが、要するに本当にやるべきことをやりながら、ちょっとだけ余計な「遊び」を並行すること。
10月初めに野球のリーグ戦が終わると、それまでプロ野球の中継(ラジオ放送!)をしていた番組が、流すことがなくなって(というのはウソですが)夜の8時半頃から演芸を放送するようになった(例年のこと)。
その番組で落語、浪曲、講談などを聴いた覚えがある。
これを聴かないで、勉強して、深夜の旺文社提供の「大学受験講座」を聞いていれば浪人しなくても済んだかもしれないが、(いや、どっちにしても浪人は避けられなかったし、本人もそれを既定路線と思っていた)やはり青春期には「余計な」(?)ことは考えないで「青春を謳歌する」ほうが重要だったのです。
で、「演芸場」のことだけど、やっぱり、あの捲り(その日の演目の書いてあるめくり)のある舞台を見たいとずっと思っていた。
でも、今回は、入り口の演目紹介のパネルでおわり。
話を散歩に戻して、とりあえず不忍池へ行く。
いつ来ても散歩の人はのんびりと歩き、ハト、カモ、カモメ?(東京湾から来ているのかな)が悠々と飛び、岸辺の柳や桜の木がそよ風に揺れている。
池のほとりにぽつぽつと置かれたベンチでおにぎりを食べる。ちょうど昼食タイムなので、あちこちでコンビニ弁当を広げている人が見える。
池の遊歩道の手すりにたくさんの鳥が羽根を休めている。
ランチを終えて、池の中央にある弁財天に参る。(このページの最初の写真)
不忍の池には何度も来た(近くに4年程住んでいたから)が、ここにお参りするのは初めてだ。
境内に「めがね(供養)の碑」がある。
私も眼鏡のお世話になっているので、お賽銭なしで、手を合わせてお礼をする。
不忍池から桜並木を横切り、一段と高い上野の山へ向かう。
そうそう、ここの桜並木についてひとつ付け加えておくと、私はお墓は無くて良いと思っている、ということ。
山や田畑、連綿と続く代々の家系があって、それを守るのが必要なら、お墓を作って、その隣にはまた子孫の墓があり、となるだろうけど、田舎から出てきたサラリーマンの私のうちにはそんなものは無い。
新聞を見ても、今の日本では、20万基も30万基もの墓の石塔が倒れたままでゴロゴロしていて、何に使うか悩んでいるらしい。銘を削って建築材にしようかという話もあるようだ。
いつもカミさんに冗談のように、本気で言っているけど「上野公園の桜並木の、あの右列3本目がお父さんの樹だから、東京に来ることがあったら、ついでにあの樹に向かって手を合わせ、家族安泰を願えばいい。お父さんは上の方から見ているから、きっとみんなの願いをお釈迦さまに伝えるよ」と。
(まあ、その桜の根元に骨を埋めるわけには行かないだろうけど)
これから、子供や孫たちは日本全国に散り、あるいは世界の各地に行き、そこで生活の本拠を作り、またその子孫たちも各地で生きて行くだろう。
だから先祖のお墓があるところが中心になってはみんなが困る。
外国に行っても、日本に帰って来ると東京を起点に動くだろう。上野公園なら、なにかの「ついで」に行き易いだろうと思う。
私もご先祖さまを思う心は持っているけれど、やっぱりその時々生きている人が大切だ。(そう言いながらも、家族のことでお願いしたい時は、実家の方角を向いて手を合わせることもあるけど。)
だから、自分の子孫たちが困った時は、日本の上野公園の方を向いて手を合わせてお願いしてくれればいいと思う。
そう言えば、日本で世界地図を広げると、中央に日本があり、上が北極で、右にアメリカ大陸、左にはアジア大陸やヨーロッパがあるけれど、欧州の小学校の世界地図では、自分の国が中心で、目の前に大西洋があり、日本は東の端の方の小さな国でしかないし、オーストラリアの学校で使う世界地図では、オーストラリアが中心にあり、上が南極になっているらしい。
つまり、海外に住む子供や孫たちは、どちらの方向を向いて手を合わせても、地球を一周して、ほぼ「ご先祖様」の方向を拝んでいることになるから、東だ西だ北だ南の方角だと考える必要はないことになる。
という訳で、特に家系やお墓を気にする必要はない。それよりみんなが健康で平和で、笑顔の絶えない家庭を築いてくれれば、それで十分だ。
これくらい書いておけば、通夜の時「お父さんの葬式とお墓、どうしよう?」と家族で悩む必要はなく、「少なくとも、多くとも、シンプルな葬儀でいい」と言うことは伝わるでしょう。

さて、不忍弁天堂に参り、道路向こうの石段(清水坂=きよみずさか)を昇り詰めると、寛永寺の清水観音堂がある、ここは「子育て観音」で子供の健康をお願いする所。
本堂の横に「人形供養」の碑もある。その斜向かいには「秋色桜」と呼ばれる枝垂れ桜があるけれど、まだ蕾も無いから、またいつか来てみよう。

ここから右に行けば西郷さんの銅像があって、上野駅に出るけど、とりあえず左向きに美術館方向に針路をとる。
60年近く前に、東京見物に来て、ツタンカーメン展を見たのは、ここだったのかな?それとも、国立博物館のほうだったのかな? (やっぱり、博物館だったようだ)
西洋美術館に着くと、入場口に行列が出来ていて、道路からもパネルの写真を撮っている人が多数いる。
何事かと思ったら、ハプスブルグ展の開催中だった。
美術館の庭を散歩して、ブールデルの「弓をひくヘラクレス」やロダンの「カレーの市民」「アダム」「エヴァ(イブ)」などの作品を眺めて回る。


そういえば、門から入って左手にあるロダンの有名な「考える人」の像は、右手にあるこの巨大なブロンズ像「地獄の門」の上部にある像を元に単体の像として作られたとか。
まあ、芸術にはあまり縁がなく、知識もない私には「猫に小判、豚に真珠」の情報だけど、こんどはゆっくりと館内を歩いてみたいと思わせたのは、「おにぎり散歩」の成果かも知れない。
それにしても、学校の教科書や美術書でしか見たことのない作品を、入館しないで庭を散歩しながら鑑賞できるのは(時間の面でもお金の面でも)ありがたい。
もっとも、別の心配が無いわけではない。
こういう芸術作品を自分のHPに載せるのは著作権の面から問題はないのか、ということ。
まあ、庭の景色の写真一部として載せておきましょうか。
いずれにしても、ここのブロンズ像は国立西洋美術館の庭にあるものをお借りして撮りました。

本日の歩数12,400歩
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