沖縄・九州は先週、近畿・東海が昨日16日に梅雨入りしたらしい。(例年よりかなり早いそうだ)
関東もぐずついた天気が続き、今日の予報は「曇り」だが、朝早くには雨が降っていた。もうすぐ梅雨入り宣言だろう。
今日は都内で打ち合わせのある日。
両国へ向かった。
いま、これを書きながら、電話で近くの掛かりつけ医院にコロナのワクチン接種の予約をしたところ、7月28日15時から16時半までに来るように、とのことだった。
政府は7月末までには高齢者の接種は終了する予定と発表しているけれど、13日(先週の木曜日)に予約開始して、今日、17日(火)に電話しても、予約は限りなく7月末に近い28日だ。
まあ、そんなことだろうとは思っていたけれど、仕方がない。若い人たちはそれより後になるので、気の毒だと思う。
散歩の話に戻って……、
国技館の前には、関取や相撲部屋の幟が強風にはためき、本場所開催中をアピールしている。
櫓(やぐら)太鼓用の櫓も、空に向かって聳えている。
今は夏場所で昨日が中日。照ノ富士が初日から8連勝で勝ち越し決定。観客は人数制限があり、桝席の場合、通常は4人だけど、ひと桝にひとり、だそうだ。
国技館を横目に通り過ぎると、何度か来た「旧安田庭園」。

今はコロナの影響で、門のある公園・庭園は「休園中」というのが普通だが、ここは門があっても通常通り入園可能だ。
池の左半分の道を歩いて、前におにぎりを食べた心字亭を見ると修理工事中。
ツツジ(サツキかな?)は満開で、池では亀が昼寝中。
ツツジとサツキの違いは、今でもわからない。
ネットで見ると「簡単な見分け方としてはツツジの花は大きく、品種改良により色も豊富にありますがサツキは小ぶりな花が数多く咲き色も赤系のものが多いのが特徴です」とか、オシベの数とか、開花の様子に違いがある(4、5月に新しい葉の出る前にツツジ。5,6月に新しい葉が出てからサツキ)、とか書いてあるけれど、いちいち覚えていられない。いずれにしても、サツキもツツジ科の花(木)だそうだ。
どこかに書いたかと思うけれど、子供の頃、山の畑仕事を手伝いに行った時などは、食事の時に箸を忘れたことに気づいたら、ツツジの枝を折って箸代わりにしたことが何度もある。(間違ってもウルシを使わない事。手や口がかぶれて大変だから。)
そう、春先にはたどたどしかったウグイスが練習を積んで(?)上手になり、澄んだ鳴き声が周りの山にこだましている中で、初夏のそよ風を受けながら、おにぎりや飯盒に詰めたご飯を食べると、汗が引き午後の仕事(の手伝い)の活力が湧いてきた。
だから、私の場合は「枝が箸になるのはツツジ、短くて箸代わりにならないのがサツキ」。
庭園のきれいに刈り込まれた満開の花は枝が短く花も小さいから「サツキ」ということにするか。今は「五月=サツキ」だし……。
旧安田庭園の北の門から出るとすぐ、交差点の斜向かいに別の公園が見える。
これが横網町公園の西門。

園内に入ると大きな建物がある(納骨堂のある三重の塔らしい)。その横の左の小径から日本庭園を巡る。
簡素な日本庭園が造られ、石を組んだ小川が流れ、小池があり、木立の中に四阿もひっそりと建っている。

池の中では鯉が数匹ゆったりと泳いでいる。
休憩用のベンチはあちらこちらに散らしてあるが、今日は空模様が怪しいので、いざとなったらこの四阿の屋根の下でランチにしよう。
四阿の傍らには石原町・緑町震災戦災追悼碑がある。
この公園の辺りが石原町1丁目で、ここから総武線の南側、錦糸町にかけてが石原町・緑町で、この地域の犠牲者を追悼するのがこの碑だそうだ。
(この前歩いた、大横川のほとりの長谷川平蔵旧邸跡のあたりが緑4丁目だったと思う)
日本庭園を半周して北門の内側に来ると、何か鉄の溶けたような残骸が展示してある。
この公園は、関東大震災1923年(大正12年9月1日)と東京大空襲1944年-45年(昭和19年‐20年 東京大空襲は1945年3月1日)で犠牲になった人々を慰霊するために造られた公園だ。

あとでネットで調べると、大震災の犠牲者38,000人、東京空襲の遭難死者58,000人が納骨されているとのこと。
シャーシだけ焼け残った車や、半分溶けた百馬力電動機など数十点が展示され、関東大震災の時の生々しい惨状が見えてくる。
その隣は復興記念館。今日は休館。
視線を東京都慰霊堂の側に転じると堂の脇に「東京空襲犠牲者を追悼し、平和を祈念する碑」が、花壇に囲まれて建っている。
現在の花壇のデザインは葛飾区立葛美中学校の生徒たちによるもので、タイトルは「花菖蒲の想い」。東京都がデザインを募集し、その優秀賞のデザインを生かして、四季毎に植え替えが行われているそうだ。
その奥には青嵐(関東大震災当時の東京市長永田秀次郎、俳人としての号が青嵐)の句碑。
風化して読めないけれど(と言うか、私にはくっきりしていても草書は読めない)ネットで見ると「焼けて尚芽ぐむ力やしゅろの露」と書いてあるらしい。人を含む生き物の生命の強さを詠っているのかな。
確かに、(前に書いたけど)私が子供の頃に田舎で「ハエ叩き」を作っていたシュロ(棕櫚)は、雨を浴びると生き生きと緑に輝き、葉先から水滴を滴らせていた。
きっと、大震災で焦土と化した東京市の復興を祈った句なのだろう。
そのまた隣には朝鮮人犠牲者追悼碑がある。流言によって犠牲になった朝鮮人(日本人も含まれていたらしい)の追悼の碑だ。(さっきはその脇の小径から和風庭園に入った。)

もう一度清澄通りに面する正門に戻り、子供の遊具のある遊び場の隣から鐘楼に行く。
鐘楼には「幽冥鐘」が吊られ、犠牲者の冥福を祈っているが、今日は柵が閉まっていて、鎮魂の鐘は撞けない。
鐘楼の下の広場には「ラジオ体操会場」のタテカンがある。
きっと夏休みには元気な子供たちの歓声が響き渡ることだろう。

その隣の管理事務所棟の右には「震災遭難児童弔魂像」があり、幼児から学生服の生徒たちまで、私の孫たちぐらいの多くの子供たちが震災で犠牲になったことに心が痛む。

近くの木立に「ここで振り返ってみてください。スカイツリーがきれいに見えます」という小さな看板が立ててあるので、思わず後ろを振り返ると、木立とビルの向こうにスカイツリーが曇り空を衝くように立っていた。
ふと腕時計を見ると、11時に両国駅に着いてから45分が過ぎている。
今日の打ち合わせは13時の予定だからあまり余裕がない。

急いで本堂と日本庭園の間のベンチに座り、いつもの「おにぎりランチ」。

食べていると少し五月雨が落ちてきたが、木立の枝が防いでくれるので、さっき見た四阿まで行く必要も無く、しっとりとした玉砂利とスズメの遊ぶ姿を見ながら、ランチを終える。
清澄通りから正門と、慰霊堂の写真を1枚。

西門から出て、旧安田庭園の北半分の道を辿って、両国駅に向かった。

国技館の前には入場する人の姿もちらほら。駅でタクシーを降りる相撲取りの姿もあり、来合わせた人々から拍手が起きていた。
今日の歩数は(1日全部で)10,400歩。
約1時間の散歩(公園内では実質4q?)だった。
ホームページのトップへ

|