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         浜離宮恩賜庭園 2021.06




 

  梅雨空ではあるが、雲は高い位置にある。予報は曇り雨だけど、これなら散歩は可能。

 たまたま今日の打ち合わせは16時なので、時間はある。

 ということで、今日は以前行ってコロナの所為で閉園だった浜離宮に行くことにした。

 いつものように10時過ぎに家を出たが、今日はひとつ散歩の前に片づけることがある。

「散髪」だ。

散髪と言えば、中学校の頃までは家で、父や兄がバリカンで刈ってくれていた。男の子は皆坊主頭で、どこの家庭でもバリカンで刈っていたものだ。

今のように電動バリカンではなく、手動のハサミ型のもので、時どき切れ残したまま引っ張ると「イテッ!」ということになる。

高校も、学則で「丸刈り」が原則だった。3年生になると、就職や進学の準備のために長髪が許可され、みんな競って長髪にした。

そんな自分の経験から、子供の親になってからも、散髪は自宅で、ということになった。

スキばさみと櫛と、カミソリ付きのスキ櫛で、息子の方は中学校が終わるまで私が刈った。

息子やカミさんの評価はイマイチだったけれど、時間と費用の節約と、親子のスキンシップにはなったと思う。

娘の方は、カミさんがスキ櫛で整えていたが、わりと早い時期から美容院任せになったと思う。

 で、今日の私は、通勤経路上の「101200円」の床屋を探すと両国にあったので、取りあえず両国で降り床屋へ。

理容師さんが、仕上がりを鏡で見せてくれる後頭部の髪の薄さというか「無さ」にがっかりしながら、再度JRに乗って新橋へ。

前回少し迷って「学習」したので、今日はスムーズに浜離宮恩賜庭園へ着いた。

 

大手門橋を渡り、入場券を買おうとしたが、その前に、テーブルが用意されていて、コロナ対策の消毒スプレーと入園手続きの説明書が置いてある。

スマホで予約が必要だそうだ。

説明書通りに三次元バーコードをスマホで読み取り、操作を進めるが「メールアドレス」で引っ掛かる。最近スマホを替えて、しかもメールはショートメールかラインしか使わないので、通常のメールアドレスは覚えていない。

仕方が無いので窓口に行き、事情を話して入場券をGet !  (65才以上は150)

 












 広い!


以前カミさんと来た時の印象は広くはなかったが、今日の浜離宮は玉砂利の地面も、空も、松林も広い。

以前「来たつもり」の庭園は他の庭園だったかも知れない。

或は、ここが、その後リフォームで面積が増えたか……。

庭園内を、時計と逆回りに散歩開始。

左に巨大な木(なんの木?)、右手の延遼館跡に枝振りの良い松の林を見ながら突き当りまで行くと内堀。説明板があり、左の方に三百年の松があると書いてあるが、散歩方向が予定と逆なので、最後に見ることにする。


松林沿いに右に歩くと藤棚。残念ながら花の時期は終わっている。



そこから右の小径に入って行くと花菖蒲が咲いている。松の木は形が素晴らしい。盆栽の松を大きくしたような枝を作るのは大変な手間と年数が掛かっているだろう。

 










 更に小径を進むと、もうひとつの入園口「中の御門」の受付に出る。













 その先には野外卓広場があり、ベンチが散らしてあり、「シート可」とあるから、桜の季節にはレジャーシートを広げて広場の桜並木の花見が楽しめるようだ。






  
 広場の端に大きな切り石がたくさん積み上げてある、私の想像だけど、この庭園を改修する時に、どこからか古い石積みが見つかったので保存してあるのではないかと思う。石にはそれぞれ記号と番号が振ってあり、元の形に直すときの参考にするのだろう。





 
 少し進んで、やや広い場所に出ると左手に古そうな造りの建物がある。











 



 「芳梅亭」とあり、有料の集会施設らしい。
 枝折戸の隙間から風情のある建物を1枚撮る。








 広場の突き当りには可美真手命(うましまでのみこと)の銅像が建っている。

  可美真手命というのは全く知らなかったので、帰宅後にネットで調べて見ると(少し長いけれど)

 可美真手命(ウマシマデのミコト。古事記に宇摩志麻遅命、先代旧事本紀に宇摩志麻治命)は物部氏の祖。
 この銅像は、日清戦争のころ、明治天皇大婚二十五年祝典のために、陸軍省が懸賞募集して、ここに献納したものです。腕には神異の剣「フツノミタマ」が抱えられています。

 とのこと。

 
 ここで、受付でもらったパンフレットを見ると、近くに鴨場があるらしいので、少し戻って、細い道を通って鴨場に向かう。

狩場の上り口には鴨塚があり、その先の小高くなった林の間から下を覗くと水面が見える。ここはまさに「大覗」で、木立の枝の間からカモの様子を見る足場だ。



 池は大きくはないけれど全部をファインダー内に収めることは出来ない。水に浮かぶ2羽の鴨が餌を探しているのが見える。

 


 鴨場から横道を降りると馬場跡がある。

 ここで馬の調教と乗馬の練習をしたのだろう。100mぐらいの直線の広場が往時を偲ばせる。説明板によると、家臣の乗馬や騎射を将軍や貴賓が上覧することもあったとか。

 


 

 馬場の林から出ると、目の前が一気に開け、大きな水面が見える。

 潮入の池の全貌が見渡せる。出て来たところは、その名も「八景山」だ。

  
 右前方の、池の真ん中辺りに「中島の御茶屋」、左手のさっき鴨場に向かった辺り(さっきは林に遮られて見えなかった)燕の御茶屋と三間橋が見える。確かに「八景」が見渡せる。


 三間橋に戻るのは面倒なので(本当は運動のための散歩だから歩くのを億劫がってはいけないが)、遠景で写真を1枚。ついでに、ここからの燕の御茶屋も1枚。


橋の先には水上の館「中島の御茶屋(おちゃや)」。
 これは御茶屋とは言っても、「茶店(ちゃみせ)」ではなく、将軍の接待のための建物だそうだ。













 中島から北に向かって橋(お伝い橋)を進むと小の字島(このじしま)があり、花を過ぎた藤棚の蔓が潮風を受けて夏の訪れを告げている。

 



その橋の向こうの岸辺には3軒の建物が見える。左端はさっきの「燕の御茶屋」だけど、他の2軒は何なのか?

「お伝い橋」の続きを渡ると、ほぼ正面の建物が「鷹の御茶屋」。


 藁葺のしっとりとした厚い屋根の下に素朴な家が(小屋)が水際に佇んでいる。

 ここは鴨を獲物とする鷹狩の時、将軍が一休みして焼き栗や焼き芋で、お茶を喫し、田舎の風情を楽しむ場所だったそうだ。

裏に廻ると、鷹が待機する鷹部屋があり、鷹の剥製(かな?)や狩りに使われた網なども展示してある。

 



 カモ獲りの網は大型の玉網(たも)とタケマチのあいの子のような形をしている。

説明板に「叉手網(さてあみ)」と書いてある。

これで思い出すのは、私が子供の頃、岡山の田舎の溜め池では、池の底の泥浚(どさら)い(=池の貯水量を増やすためのメンテナンス)とレジャーを兼ねて、数年に一度「掻堀(かいぼり=最近、テレビの番組でもあちこちの池でこれをやるのが流行っているから知っているでしょう)=池干し」をしていたこと。

池の水を抜いていって、人の背が立つ水の量になると、太鼓の合図で一斉に大人たちが大きな網や籠を持って池に入り、魚を追い、捕まえた。

その時使った網の中に「又」の字形の網があった。これは竹を交わらせた広い方に網を付け、両手や肩を使って水の中を歩いて魚を捕まえる網で「タケマチ」と言っていたと思う。(間違っているかもしれないけれど)。

岸まで上がって来た網の中に大きなコイやフナが入っていると、見物の子供達から歓声が上がったものだった。

ここの叉手網(さてあみ)も、形も名前も又の字から来たものだから、発祥は同じだろうと思う。

カモ獲りの網を見て、昔のことを思い出しながら、隣の建物に行く。


 

「燕のお茶屋」











 こちらは松の御茶屋。

 

賓客をもてなすための御茶屋で、壁や障子の紙などにも日本の伝統手法が使われている。きっとここでお茶を頂くと、心が落ち着いたことだろう。

そうは言っても、私は茶道の心得はないから、点前に招かれても味わう余裕はないだろうけれど……。


  先に進むと小山が築かれている。御亭山(おちんやま)だ。

 

せいぜい数メートルの高さだけど、まわりが平坦なので見晴らしがとても良い。



潮入の池と、反対側の横堀(潮入の池と続いている)が見渡せる。
















2つの池の間の芝生の中の道を南に行くと富士見山に出る。

 高いものが有ると登りたくなる。人間の、あるいは動物の習性かな?

 富士見山の園側は静かな水面にさっきの御茶屋が映っている。外側は木立で見えないが、汐留川のはず。

足元の松林にはカラスの群れ。

おにぎりを食べるには絶好の場所だけど、カラスに狙われるといけないので、ここは先に進む。

実は、私は昔カラスに襲われたことがある。

白っぽい服装で林の道を歩いていると、羽音が聞こえ、後ろから頭すれすれにカラスが飛び去った。しばらくすると、またカラスが頭を掠めて飛んでいった。黒いバッグを振ると逃げていった。

この時分かったのは、カラスは「白い物」は自分より弱い物(ハトなど)と認識しているらしい。だから、黒っぽい服装か黒いバッグで追い払うのが一番。

きっと自分と同じ黒色で、大きいから恐れるのだろう。

だから、ハトやスズメなら良いけれど、カラスの群れがいる中で、白い夏服で弁当を食べるのは危険だということ。(また、話が飛んでしまった。)

 

















 横堀の外側沿いに歩く。



川の向こうに大きな水門や観光船が係留されているのが見える。





  


 「海手お伝い橋」がかかっていて、向こうに首の長い鳥の姿が見える。名前は分からない。







 橋から見ると、向こうに何か壕のようなものが見える。


「小覗」という、鴨狩で人が隠れる土の小屋だ。
中からカモの様子を見て、網で捕らえる隠れ家とのこと。のぞき穴があり、脅しの板木と木槌も吊るしてある。



















予定の行程の7割ぐらいはきたかな。再び外回りの道を歩くと横堀水門。そばに新樋の口山という小さな山も造ってある。

そのまま川(海?)沿いに北上すると「将軍お上がり場」。



 ここは将軍が船に乗降した場所だが、1949年のキティ台風で一部が崩れて海中に沈んだそうだ。











その上がり場の傍に広場があり、灯台の跡が残っている。













 そのまま先にすすむと、水上バスの発着場。さらに進むと梅林があり、その先に旧稲生神社、そしてお花畑へと続く。











 お花畑には今は花はないけれど、藤棚のような棚が作られていて、橙色の花が咲き乱れてる。先日散歩した猿江恩賜公園のステージ横に有ったと同じような棚で同じ種類の花だ。

私と同じように散歩をして向こうから来た同年輩の男性が「この花は何の花ですか?」と聞いてくるから「私もオタクに聞こうと思っていたところです」と応える。

 

つい先日(1ヵ月前に)亡くなった小林亜星さんが、(これを書いているのは202171日)、日立のCM用に作った「この木、なんの木、気になる木」ではないけれど、「この花、なんの花、気になる花」だ。

気になるから、パンフレットを見直すと、この庭園の6月開花の花の中にアジサイ、ハナショウブと並んで「フウセンカズラ」という名前が目についたので、ネットで花を見ると、白い小さな花。これは団地の家のベランダに植えている花で、名前が分からないので、私がチョウチンソウと呼んでいる花だ。



 20
年ほど前に帰省した際に、那岐山(中国山脈)の麓の母の実家に行った時、急傾斜の山道を登ったところにある家の庭先に植えてあった花の実を持ち帰り、フラワーポットに植えたものだ。(母と叔母の思い出です)




 

毎年、花が咲き、仁丹(=ジンタン)ぐらいの黒くて丸い種が風船の中に出来、翌年、朝顔と同時に種を播き、花が咲いて……、を繰り返しているうちに、2人の子供達も大きくなって、我々も今は父親や母親になっている。(いや、孫たちのジッチャンとバッチャンだ)

まあともかく、素人が植えても発芽率が高くて、失敗しない花だけど、名前が分からなかったのが、やっと分かった。長い間置いていた宿題がひとつ片付いた。

でも、あのオレンジ色の、カボチャの花の孫くらいの大きさの花の名前は、まだ分からない。また20年の宿題か。20年経ったら、私は9ン才になるけど……。

おふくろの96才を超えるまで生きていればいいけど、ちょっと無理みたいなので、(これを書きながら)浜離宮庭園に電話して聞いてみたら、一発で答えが出た。

アメリカノウゼンカズラ」だそうだ。やっと3週間の宿題が片付いた。

で、もう一度パンフレットを見直すと、「アジサイ」の隣にある花の名前は「ノウゼンカズラ」だ!

私の目が白内障の入り口なので「ノウゼン」を「フウセン」と読んでネットで調べたのでフウセンカズラが検索に引っ掛かったらしい。まあ、そのお蔭で、20年来の宿題と3週間前の宿題が一度に片付いたわけだけど。

そういえば、1週間前にも、20年前から近くの個人病院で2年おきに検査して(サッカーの「日韓ワールドカップ」の前ぐらいに初回)いただいて、その度に4つか5つ、小さな5mmくらいの大腸ポリープを切除していた内視鏡検査を受けて、今回は5mmぐらいのを4つ取ってもらったが、先生に「ほかに16mmぐらいのが2つありますが、それなりに設備のある病院で取った方が良いです」と言われて、少し離れた大学付属病院を紹介されてしまった。
(これはまだ、15話の「大腸ポリープ切除体験記」には追加していない)

年は取りたくないものだと思う。時間が経つのは早いし、視力が落ちたり、ポリープが育つのも早い。

時間という流れに逆らって、全速力で光と逆向きに駆けて、時の流れを緩やかにしてみようか?(でも、どちらに向かって駆けたら良いかは知らない)

 ともかく庭園の話に戻って、アメリカノウゼンカズラの棚のお花畑を抜けて、ちいさな橋を渡って、花木園へ。


ここには小さな売店と、屋根付きの休憩所がある。

いくつかあるベンチで、ほかに散歩の人も数人休んでいる。


これならカラスに襲われる心配もないので、「おにぎりランチ」にする。

目の前の、最盛期を過ぎかけたショウブ園をながめながら、麦茶を飲み、「シャケ・おかか・梅干し」の特製・特大おにぎりを食べる。

 

おにぎりを食べながらパンフレットを見ると、メインの鴨場の「庚申堂鴨場」をまだ見ていないことに気づいた。

ランチの後、うろうろと周辺を歩いたが鷹の御茶屋に出たり、松の御茶屋に出たりで、その庚申堂鴨場への道が分からない。さっき見た「小覗・大覗」を進んで見れば良かったが、さすがにもう一度戻るのは大変なので、(いや、運動のための散歩だけど)次回、カミさんと来た時の楽しみに残しておく。 


 40
年前に「山頂駅まで行くのは、今度、カミさんと来る時の楽しみに取って置こう」(本当は氷河電車賃がなくて、ふもとのインターラーケンで引き返したのだけど……)と、先延ばしにしたユングフラウの宿題は、数年前、かろうじて金婚式前にやっと果たせた。




 まあ、都内の浜離宮なら「40年先」ではなく、数年以内には一緒に来れるでしょう。

で、お花畑に戻り、内堀広場を横切り、「300年の松」を目指す。広場にはレジャーシートを広げて子供とランチの人もいる。



 松はさすがに大きく、曲がった太い枝が支柱にもたれながら、広がっている。

確かに300年を経た風格が漂っている。



 

 

 

これで今日の散歩は終了。

来る前は、2時間あれば2周できると思っていたが、とんでもない。

1周するのがやっとだった。
 
 この庭園は海外の貴賓をもてなすためにも使われていたとのことで、あちらこちらに「見てもらいたい」ような景色が散っているので、写真を数枚追加しておきます。







































































 
















 今日の歩数は18,000

 





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