ふと、ドジョウが食べたくなった。 小学生の頃だと思うが、兄に連れられたり、友人と誘い合わせて、小川に魚取りに行ったり、田圃のタニシやドジョウを取りに行ったものだった。小川の魚は、最近はテレビでも「掻い堀(かいぼり)」を見せるが、私の子供の頃の取り方は「掻い川」だった。 水の少ない小川の上と下を堰き止め、バケツで水を「掻い出す」。上の堰から水が溢れる前に、間の水を全部掻い出す。水が少なくなると岸の木の下の「やて=魚の隠れ家」から、ゲンゴロウ、タガメ、フナやタナゴ、モツ、ドジョウ、時にはナマズなどが、残った水溜まりに誘われて出てくる。
水を落として(流し終わって)生乾きになった田んぼの、溝(田の中で水の流れをよくするための水路)の端から、両手の指を伸ばして泥の中に差し込んで、10センチぐらいずつ泥を掻いてくる。丁度熊手でアサリを取るようなものだ。 掻いた泥の中から、半分眠っていたタニシや、冬眠前のドジョウが「起こされた!」と文句を言いそうな顔でにょろにょろ出てくる。だから「捕まえる」とか「取る」というより「採る」に近い。 |
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さっきの居酒屋から1区画ほど奥に行った路地裏の豆腐屋さんの作業棟にくっ付いた入り口別の小さな1、2階続きの2間を借りていた。朝4時頃から仕込みの物音が聞こえてくる働き者のご夫婦の豆腐屋さんだった。 私のアパートは1階が台所で、2回が居間だった。 夜、勤め先から帰宅してドアを開け、明かりを点けるとサラサラとカニが這うような音がする。最初のうちは分からなかったが、その内、流し台のステンレスのシンクの中でゴキブリの群れが排水口に逃げ込んでいるのを見つけた。 また、祭りの季節(8月15日の深川八幡祭だったか)が近づくと、二階の窓を開けると、目の下の路地で神輿を担ぐ練習を繰り返し賑やかだった。 |
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さて、昔の下宿のあった地点は見つかったが、まわりの家は全部建て替えられ、路地もきれいになりすぎて、昔の面影は全くなくなっていた。まあ、そのほうがその土地の人が暮らすには良いので、勝手に懐古に浸っているわけにいかない。下宿は小綺麗なアパートになっていた。 再び・・・(此処まで来たからには、深川不動尊と富岡八幡宮に参らないわけには行かない……)。永代通りの商店街を通り(ここも清潔そうな商店街に変わっている)、細い参道を入って、深川不動に参る。 現に、この散歩をしている私も、都内で仕事をしている時に(門仲でも浅草でも、行きたい時に行ける)と思っているうちに千葉に転居して、週に1、2回の「都内打ち合わせ」の機会に、見落とした都内の景色を求めながら「健康散歩」をしている。 |
もうひとつ見るべきものは、伊能忠敬の像だ。
以前、家族で旅行した時に香取市佐原に伊能忠敬記念館があり、測量に使った器具なども展示されていた。 今日は、ランチを期待したドジョウのある居酒屋が休みだったので、日比谷線の築地で降りて、元築地場外市場の一角で海鮮丼を食べた。 市場が昨年豊洲に移転した(2018年=平成30年10月)ので、昔の雰囲気は無くなったが外国人旅行客の観光スポットのひとつとなっていた。 まあ、家康の頃始まった日本橋室町辺りの魚河岸や神田八辻ヶ原の青果市場が、数百年を経て、関東大震災をきっかけに1935年に築地に移り、今度は豊洲に移ったということだから、これも歴史の流れの中のひとつだということかも知れない。 そう、今度はいつか、豊洲市場へ行ってみよう。 |